アリスの森

恋によく似た

「……ちゃん、なに?」
「あら、漸くお目覚め?」
 重たい瞼を押し上げて最初に視界に入ったのは、アメジストの瞳で自分を見下ろす少女だった。





「随分とのん気に寝ていたわね」
 サイドテーブルに置かれたアンティークランプだけが光源の薄暗い部屋で、英国の薔薇少女が大した感慨もなさそうにそう言った。
 相変わらず白い肌だな、と関係のないことを頭の片隅で考えながら、フランスはわずかに口端を上げて見せた。嫌味っぽくならないように。
 無表情にも見えるこんな表情の時のは、扱いに些かの注意が必要なのだ。
 別段、彼女は機嫌が悪いわけではない。良くも悪くもないから、対応ひとつで容易く機嫌が変わってしまう。
 折角の逢瀬に麗しの少女の機嫌を損ねるほど、フランスも間抜けではない。
 当のはというと、フランスの様子を静かに見下ろしている。
「……自分の上に乗られて それでものん気に寝ているなんて、危機感が薄いんじゃない?」
 そうなのだ。平然とフランスを見下ろしているこの少女は、あろうことかフランスの腹の上に跨っているのだ。
「えー、だってちゃん、さっきまで散々お兄さんの上に乗ってたでしょー。今更乗られたところで、あんまり違和感ないよ」
「……あぁ、そう。なら、ついでにその口も塞いでおけばよかったわね」
 二度と開かないように。不穏なことを呟いて、は自分の太股を掠めたフランスの手をぴしゃりと叩いた。
 あ、お触りは禁止なのね。
 『待て』ができなかったせいか、単にフランスが起きて気がすんだのか。少女は軽い身のこなしでベッドから降りると、長いミルクティ・ブロンドの毛先を指先で弄びはじめた。
 ベッドに入る前までは綺麗に巻かれていた髪は大分乱れている。そのことにが僅かに眉を寄せたのを見て、フランスは体を起こしながら苦笑した。
「で? こんな時間にどうした?」
「なにか作って」
「は?」
 思わず聞き返したフランスに、は出来の悪い子に言い聞かせるように ゆっくりと繰り返した。
「お腹が空いたのよ。なにか作って頂戴」
「今から?」
 未だシーツの波に埋もれるフランスの問い掛けに、「今」と簡潔に返す様子はどこぞの海賊紳士を思い出させる。
 ちらりと見やった時計の針は、日本で言うところのウシミツドキというやつだ。
「こんな時間に食べると太るんじゃない?」
 とは言ってみたものの、この二百年の間 彼女の体型に変化がないのはフランスもよく知るところだ。
 案の定、はワイシャツの上からでもわかる魅力的な肢体で腕を組んで、蠱惑的な笑みをはいた唇でこう言った。
「なにそれ。面白い冗談ね」
 ですよねー。フランスは白旗を揚げた。
 暖かなベッドから出るのは名残惜しいが、目の前の女王様の笑みには逆らえまい。
 フランスはベッドから降りると、薄暗い部屋の床からシャツを拾い上げた。
「……ちゃん、ひょっとして、それ お兄さんのシャツじゃない?」
「今更ね。ひょっとしなくても、フランシスのシャツよ」
 明らかにサイズの合っていないシャツを我が物顔で身にまとうは、上機嫌な女王様。長年培ってきた餌付けの効果は絶大だな――と、フランスは笑いを噛み殺しながら、クローゼットから新しいシャツをだして羽織った。


 さて。
「時間も時間だし、ポタージュかガレットでいい?」
「ポタージュ。それからフロマージュ」
「はいはい。女王様はなにをご所望で?」
「ゴルゴンゾーラ。ピカンテでね」
「せめて、そこはロックフォールって言おうよ」
 フランスに来てイタリアのフロマージュを希望するってどうよ。
 呆れたように溜息をひとつ。髪を纏めるフランスの後ろを、アンティークランプを携えたが鼻歌まじりについてくる。
 正直なところ、廊下の電気をつけた方が明るいし歩きやすいのだけど、女王様がランプの明かりをお気に召しているようなので、薄暗いままの廊下を歩いていく。


 綺麗な花から、花へと飛び回るように

 甘い蜜から、蜜へと身を翻すように

 世の女性たちは気まぐれで蝶のようだと、フランスはいつも思う。

 今は大人しくフランスについてくる この女王様も然りだ。


「明日は誰の腕の中にいるんだろうね」
 自嘲も嫉妬もないけれど、なんとはなしに呟いた言葉に。
 右腕にかすかな重心がかかる。
 それに気付いて足を止めたフランスが、引かれるがままに上体を倒すと。
 ちゅっ、と。
 可愛いリップノイズをさせて、の顔が離れていった。


 鼻歌まじりに先を歩くの背を眺めながら、こんな些細なキスで絆される自分にフランスは呆れていた。
 しかし、これから先もこうして変わらずに続いていくのだろう。
 今までがそうであったように。


「フランシス、早くして」
「はいはい、女王様」

(『御題ノ欠片』 Title by 黎明アリア)