アリスの森

唇寄せれば噛み付いて

「珍しいね」
 触れ合っていた唇が離れた わずかな合間で吉良が呟いた言葉に、はちらりと彼を見たが、そのままもう一度 唇を重ねた。
 浅くも深くもない、互いの唇を食むような柔らかな接吻けに、やはり珍しい、と吉良は思った。





「なにが?」
 気が済んだのか、ようやく離れたが常と変わらない冷静な声でそう聞く。
 唇は離れたが二人の体は未だ至近距離にあるので、汗の匂いと彼女の燻らせている高価な香の香りを感じながら、吉良は「うん」と曖昧な笑みで返した。
「いろいろと、ね。珍しいよ」
「例えば?」
 肩に襦袢を掛けただけの しどけない姿のは、胡坐をかいた吉良の太腿に両手をついたまま先を促した。
「そうだね――」
 まだ日もある内から こんなことをしたり、それを誘ったのが彼女の方からだったり、いつもなら終われば湯を浴びにいく彼女がまだ吉良の腕の中にいたり。
 それらを伝えればは「ふぅん」と気のない返事をして、漆黒の瞳を閉ざした。
 機嫌を損ねてしまったかな、と思ったが、どうにもの感情の機微は読み取りにくくて、結局 吉良は何もつけていないはずの紅い唇に己のそれを重ねるに留まった。
 一度 触れ合わせて離すと、長い睫毛が震えて吉良を見つめる。
 誘われているのか拒まれているのか、判断ができずに困ったように笑う吉良に、は「もう一回、して?」とその双眸を閉ざした。
 外の世界では、蝉の鳴き声と遠雷がしている。





 吉良の右手がの頬を撫でると、もその手に甘えるように擦り寄る。彼女がこんな風に触れてくるのも、構ってくるのも珍しくて、吉良は口端だけで笑った。
 それに気付いたのかはうっすらと瞳を開き、「イヅルの手、好きだわ」と言う。
「手だけ?」
 意地悪くそう聞けば、は「声も」と返す。

 手を添えているのとは反対の耳元でその名を呼ぶ。
「それから――唇も」
 キスを強請る蠱惑的な唇の告げた言葉に、吉良は満足げに瞳を細めた。





 そっと合わせた接吻けはすぐに深いものへと変わった。
 わずかに開く唇からの柔らかな舌が入り込み、吉良の歯列をなぞる。
 吉良の口内を探るが焦れたように吉良の袖を掴むと、吉良はその腰を引き寄せて膝の上へと抱き上げた。
 抱き上げられたが強請るように舌を差し出すが、吉良は知らぬ素振りでキスを続ける。
 そのうちが声にはせずに吉良を非難するのが伝わって、吉良は宥めるように彼女の背から腰のラインに手を滑らせた。
 そうして漸く、それに応えて吉良も舌を絡めれば、の甘い声が耳をつく。袖を掴む力が緩められた。
 激しい接吻けとは対照的に、が優しい手つきで吉良の髪を梳く。吉良の髪を弄るのは、機嫌が良い時のの癖だ。
「……珍しい」
 離された唇を名残惜しく思いながら吉良が呟けば、自覚があるのかは表情を和らげた。
「今日はそればかりね」
 こめかみへと近付けられたの唇が、甘い吐息を交えてそっと触れた。
「そんな気分だから。……こういうの嫌だった?」
 その誘いに乗った自分に、今更 否やと言う資格はないだろうに。――吉良は薄く笑って、の背を撫で上げた。
 ぱさりと滑り落ちた襦袢と畳に敷かれたままのの赤い着物を視界におさめて、「また皺になってしまうね」と吉良がもらせば。
 「今更だわ」とが笑った。


 いつの間にか、外では雨が降り出していた。

(『マイ・スウィート・キャット』 Title by 恋花)