気まぐれ猫と、蜥蜴のお茶会
ナイトメアがいないだけで、こんなにも暇になるとは思わなかった。
いつもだって四六時中、一緒にいたわけじゃないのに。
あんまりにも暇だったから。
だから、この人とお茶なんか飲んでるのよ。
「様、紅茶はどれにしますか」
「自分で淹れるから結構よ」
はっきりとした否定の言葉に不機嫌な様子は感じられず、グレイは自分の分のコーヒーをカップに注ぎ、先に席に着いた。
メイドの運んできたティーセットを手馴れた様子で扱う少女。華奢な手が危なげなく動くのを、見るとはなしに見ていると。
「ねぇ、仕事は?」
砂時計を反したが呟くように尋ねたので、グレイは視線をあげた。
視線の先にいる少女は、ちいさな砂時計の砂が落ちるさまを見つめている。
「事務的なことなら滞りなく。今は大きな問題もありませんし、一番手のかかる元凶がいませんので暇なんですよ」
「そう」
がどのような答えを求めているのか判断できず、ありのままを語った。それに対する少女の返事からも、その思惑は判じ難い。
砂時計が落ちるのを待ってから傾けられたティーポット。
紅茶が移し変えられたティーポットを持って、少女はグレイの対面に腰を下ろした。
そのことを少し意外に思って、グレイは目を瞠る。
少女なら対角線上、グレイから一番離れた席に座るものだと思っていた。
「なによ」
グレイの驚きにが怪訝そうに聞く。この少女は目敏い。
「いえ、なんでもありません。それより、なにを召し上がりますか?」
「自分で取るから結構よ。態々子どもを相手にするみたいに構わないで」
少女の言葉はグレイの予想していたものだったが、給仕をしていたメイド達はやんわりとそれを諌めた。
「様、そんな言い方は駄目ですよ」
「グレイ様、気になさらないでくださいね。様はあまり人に世話を焼かせたがらない方なんです」
この世界において、役なしである彼女たちが主に意見するなど珍しいことだ。
しかし少女はそれを咎めず、「わかってるわよ」と答えた。
「でも本当に、様はご自分で何もかも されてしまうから、私たちメイドはつまらないです」
「せめてナイトメア様の半分でも、手がかかれば よろしいのに」
「もう、いいから下がりなさい」
主の少女が如何に手がかからないか不平を述べるメイド達を煙たがるように下がらせると、少女は嘆息する。
コーヒーを飲みながらその様子を見ていたグレイは、なるほど、と思った。
―――この子は甘えるのが下手なのか。
ナイトメアの妹らしくないとも思ったが、逆に兄の手がかかると妹はこうなるのかもしれない。
特に会話があったわけではなかった。グレイはそれほど雄弁な方ではないし、も自分から話しかけたりはしない。
紅茶を楽しむ少女の穏やかな様子にグレイは安心していたので、この沈黙の居心地も悪くはなかった。
ただ静かに時間が過ぎていく中で、オレンジ色の空が暗くなる気配を感じてグレイは窓の外へ視線を投じた。
そろそろ時間帯が変わる頃か。
久し振りに夜がきた気がする。そんなことをグレイが考えていると、同じように外の景色を見つめていた少女が、口元をきゅっと引き結んだ。
「様?」
「……そろそろ仕事に戻る時間、よね?」
が先程と同じようなことを尋ねた。
少女の硬い表情にああ、と納得する。先程はわからなかったが、ナイトメアが不在で寂しかったのか。
「いえ、まだ大丈夫ですよ」
「そう、なの」
「はい、大丈夫です」
素直に甘えられない少女に、グレイの口元が緩んだ。
そんなグレイの考えを読んだかのように、少女が眉を寄せる。
「なに?」
「いいえ。そういえば」
グレイは「失礼します」と伝えて、静かに席を立つ。
暗くなった室内の照明を灯すために席を離れるグレイを、アクアマリンの双眸が追う。
「皆が言っていましたよ。ナイトメア様が引き篭もっているのに、貴女が姿を現しているのは珍しい、と」
「…………」
彼を追っていたアクアマリンが、手元のティーカップを見つめる。
長い沈黙にグレイが踏み込みすぎたか、と思った頃。
「……置いていかれたのは初めてよ」
少女が無表情に答えた。視線をカップに落としたまま。
その言葉の意味がわからずに、グレイは首を傾げた。
「いつも一緒に連れて行ってくれてたのに。今回は置いていかれたのよ」
たとえ万年病弱・引き篭もりで手のかかる兄だとしても、仲の良い兄妹だ。やはり寂しいのだろう。
もっと寂しそうにしてくれれば、わかりやすいのに。
「ナイトメアは私のことなんて、どうでもよくなったんだわ」
「……なによ」
俯いたままのの頭を撫でると、不機嫌そうな声が返ってきた。
「ナイトメア様がいらっしゃらなくて、寂しい思いをしているのかと」
「別に、子どもじゃないもの。そんなに寂しくなんかないわよ!」
「そうですか」
「そう、よ。寂しくなんかないわ。ただ……ちょっと暇なだけ」
それだけよ。――そう言って紅茶を飲み干した少女がグレイの手を拒まないから。
グレイはもう少しだけ、その手触りの良い光色の髪を撫でることにした。