それで束縛したつもり?
道の向こうから誰かがやって来る気配がして、トゥイードル・ディーとトゥイードル・ダムは無邪気な笑みを浮かべた。
十時間帯振りのお客様だ。
少しは楽しませてくれるといいな。そんな思いで見つめていると、その人影が見慣れた日傘をさしていることに気付いた。
赤い薔薇をあしらった黒の日傘だ。
「「おかえり~、」」
と呼ばれた少女が門前で立ち止まり、日傘の縁を上げる。
双子より高い位置にある紫水晶の瞳が「ただいま」と微笑みかけた。
「そういえば、ブラッドは?」
アリスが最近 見かけない屋敷の主の所在を聞けば、エリオットと双子が同時に此方を向いた。
―――互いに向け合った武器はそのままで。
「ブラッドになにか用だったのか?」
エリオットが目を輝かせる。
相変わらずの上司ラブっぷりだ。
「別に用事はないわよ。最近 夜が続いてるのに姿を見ないから、どうしたのかと思って」
「ボスならと一緒だよ」
「久し振りにが帰ってきたからね」
エリオットを相手にするのに飽きたようで、双子はアリスにまとわりつく。
「? 誰?」
帽子屋に滞在してずいぶん経つが、初めて聞く名にアリスは首を傾げた。
「あれ? アンタ、に会ったことなかったっけ?」
「ないわよ」
どんな人なの?と聞けば、三人は口を揃えて。
「うちのボスのお茶会で、ミルクを使える唯一の存在」
ということだった。
「ボス、そろそろ次の仕事に出たいのだけど」
読み終わった本をパタンと閉じて、は嘆息した。
前の仕事が終わって久し振りに帽子屋屋敷へ戻ってきたが、それから この屋敷を出してもらえない。
屋敷どころか、必要最低限でしか この部屋を出ていない。この本に囲まれた――ボスの部屋から。
部屋の主・ブラッド=デュプレは書類から顔もあげず、常の如く けだるげに言った。
「今のところ、君に頼むような仕事はないよ。折角 戻ってきたのだから、ゆっくり休みなさい」
「エリオットは随分と忙しそうにしているようですけど」
本を書棚に戻し、次の本を探す。
この部屋の本はとっくに読み尽くしているし、不在の間に増えた本もあと三冊で終わってしまう。
「それが奴の仕事だ。君がそれほど仕事熱心だとは思わなかったよ」
「あら、わたくしはボスに誠心誠意 尽くしているつもりですけど」
「光栄だね。それなら、次からは仕事が終わったらすぐに帰ってきて、私を安心させて欲しいものだ」
ぱさりと机に書類を投げ出すと、ブラッドは椅子に深く身を沈める。椅子がちいさく軋む音がした。
「それは次の仕事に出てもよい、ということですか?」
「……今回は随分こだわるな。外に出たい理由があるのかね?」
わずかに低められたブラッドの声を背に受けて、は振り返った。
他の者なら畏怖すべき帽子屋ファミリーのボスに、しかし少女は気にした様子もない。
「別にわたくしでなくとも、ボスには可愛いお客人がいらっしゃるでしょう」
は艶然と微笑んで見せた。
「わたくしは会ったことがありませんけど、とても可愛らしいお嬢さんなのでしょう? わたくしの留守中に、帽子屋の一員でもないのに この屋敷に滞在させているのですもの」
見た者すべてを魅了する艶やかな笑みだが、その背後にある冷たい空気に気付かぬほどブラッドも愚鈍ではない。
「君が戻ってから正式に客人として扱おうと思っていたんだ。それまでは仮の滞在としてだな……」
は黙って笑みを浮かべている。
「それにしても、君はまだ あのお嬢さんと会ったことがなかったのか。では今からお茶会を開くとしよう。今ならエリオットと双子たちもいるだろう。君好みの紅茶を手に入れたんだ。ミルクと砂糖も用意させよう」
「折角ですけど、結構ですわ」
書棚から臙脂と紺と焦茶の背表紙を引き出す。それを胸元に抱え、優雅にブラッドの前まで歩み出た。
一層 笑みを深くしたが、身をかがめる。
「部屋に下がらせていただきます。残りの本もお借りしていきますね」
甘い花の香りが離れていく。
ブラッドのこめかみに接吻けをひとつ落とした少女は、そう言って紫水晶の瞳を細めた。
少女なら五時間もあれば、あの本も読み終わってしまうだろう。
「それまでに、どうやってお姫様の機嫌を直すか」
どんな仕事よりも難解な駆け引きにブラッドはため息をついた。
(『難攻不落のクイーン』 Title by 恋花)