知りたいのなら暴いてみせて
くるり、と回る黒い傘。
ふわり、と揺れるスカートの裾。
目の前を歩く機嫌良さげな黒の女に、エリオットは苦い思いでため息を吐き出した。
「ご機嫌ななめね、エリーちゃん」
帽子屋屋敷を出てからずっと背中を向けているが、振り向きもせずにそう言った。
皆が恐れる帽子屋ファミリーのNo.2であるエリオットにとって、この呼び方は大変 不本意なものだ。
しかし、他の者なら即座にぶっ放す愛用の銃も、この女相手では何故か手をかけることすら諦めてしまう。
エリオットの腕では殺せないから?
―――いや違う。簡単には仕留められないだろうが、相打ちくらいには なるはずだ。
では、に特別な思いを抱いているからか?
―――それも違う。仲間として彼女のことは認めているし、嫌いでもない。しかし、そういった感情を抱いたことはただの一度もない。そもそもは、尊敬すべきブラッドの女だ。
ならば、ブラッドに殺されてしまうからか?
―――もっと違うか。確かに彼女に傷をつければ、我らがボスの逆鱗に触れることだろう。しかし彼に殺されることは怖くはないのだ。
「なにもアンタが一緒にくる必要はないだろ」
結局この女への感情がうまく言い表せず、エリオットは苦虫を噛み潰したようにそう吐き捨てた。
そこで初めて、はエリオットを振り返った。
「この仕事は、元々 わたくしがボスから任されたものだったと思ったのだけれど」
紫水晶の瞳がまっすぐに向けられ、エリオットは言葉に詰まった。の眼差しにも口調にも、彼を責める色はない。
ただ、この女の瞳は苦手なのだ。淡いすみれ色にも紫暗にも見える、この瞳が。
「そうだが、俺が行くって言ってんだ。アンタは屋敷に残っていればいい」
は任務に出ると、なかなか屋敷に戻ってこない。だから戻ってきた時くらいはブラッドの側にいればいいのに、気ままな この女はちっとも じっとしていないのだ。
「少しはブラッドの側でおとなしくしてろよ」
「相変わらずボスのことで頭がいっぱいなのね、エリーちゃんは」
「うっせーよ」
くすくすと笑うに、エリオットがさらに顔をしかめる。
「アンタの方こそ、なんでブラッドの側にいようとしないんだよ」
「いるでしょう」
が再び歩みを進めた。
「めったにいないだろ。好きなら、もっと一緒にいたいって思うもんじゃねーのかよ」
「わたくしは、そのつもりだから此処にいるのよ」
見つめる後ろ姿からは、その表情は窺えない。紡がれる声に変化はないように思うが。
黒の傘が回るたび、赤い薔薇の飾りも くるりと回る。ゆっくりと回る赤の残像は、やけにエリオットの目に焼きついた。
「他の勢力に与することも、街に紛れて生きることも、あの時 わたくしは選べたのよ。それでも、あの人の側にいることを選んだから此処にいるの」
「だったら尚更、ブラッドの側にいるべきだ。なんでアンタは……」
見つめていた黒の傘の角度が変わる。
の歩調が緩められて隣に並んだかと思うと、ちらりと紫水晶の瞳がエリオットを見上げた。
その眼差しを受けながら、「この女の背はこんなに低かったか?」と頭を過ぎる。
いつも背筋を伸ばして、弱みも悩みもないような凛とした印象だったから、もっと背が高いものだと思っていた。
「―――どうしたの?」
凛とした声。
「貴方がそんなに踏み込んでくるなんて……珍しいわ」
「別、に……俺は……ただブラッドが、」
ああ。また、あの瞳だ。自分の苦手な、紫水晶の瞳が見つめている。
「大丈夫よ」
ふいに、その双眸が伏せられた。女の長い睫が影を落とす。
大丈夫よ、とはもう一度 繰り返した。
「ボスはわたくしが誰と何をしているのか、本当はご存知のはずだわ。そして、それを咎めることはなさらない」
そっと瞼が開かれる。
「それが『わたくし達』のルールですもの」
いつものように妖艶な笑みでエリオットを見上げたので、エリオットはそれ以上 問いを重ねることはできなかった。
「あぁ、急ぎましょう。よい頃合で夕方になってくれたわ。これなら女王陛下のご機嫌も、少しはよろしいのではないかしら」
くるりと踵を返して、は先を歩く。
夕方の光を受けても、女のまとう黒は変わらず黒のままで。
その傘の片隅を彩る薔薇だけが、わずかにオレンジ色の洗礼を受けていた。
「おかえり、」
が触れる前に内側から扉が開かれ、屋敷の主が姿を見せた。
機嫌の良さそうなボスの様子に、も笑みを浮かべる。
「ただいま戻りました」
部屋に足を踏み入れた途端ブラッドに腰を引かれ、はその腕の中に抱きすくめられた。
「随分と遅いお帰りだが、あちらで引き止められでもしたのか。それとも、エリオットと何かあったのかな」
耳元で聞こえるブラッドの声に、は彼の腕に添えていた手を滑らせて頬へと伸ばした。
白い指先が掠めるようにブラッドの頬に触れる。
「何か、とは? ボスには心当たりがおありですの?」
「君ほど魅力的な女性になびかぬ男はいないだろう」
耳元に、次いで薔薇の唇に軽いキスを落とすと、ブラッドは含み笑いでそう言った。
「あら、たくさんおりましてよ」
例えば目の前の方とか。――悪戯に少女が笑う。
「だいたい、エリオットときたら二言目にはボスの側でおとなしくしていろ、ですもの」
「エリオットもいいことを言うじゃないか。では、君になびかぬ男はいないと証明するためにも、この腕を解くわけにはいかないな」
色を含んだブラッドの瞳が間近に見える。
―――このまま、彼の腕の中にいるのも良いのだけれど……。
白い指先をブラッドの首へ回すと、その意図に気付いた彼がわずかに屈む。
少女から重ねた唇が離れると、今度はブラッドのそれが追いかけるが、もう一度 触れる前にの唇が言葉を紡いだ。
「そういえば」
ブラッドがの瞳を覗き込んで、次の言葉を待つ。
彼の瞳に映る自分の姿に気を良くした少女が、柔らかく笑みを刻む。
「わたくし、女王陛下から紅茶を頂いてまいりましたの。とても美味しいダージリンですのよ」
「それは私がご相伴にあずかってもよい、ということかな?」
「貴方が、わたくしのために紅茶を淹れてくださるのでしたら」
腰に回していた腕が解かれると、少女はふわりと一歩下がった。
ブラッドが恭しくの左手を取る。
「では姫君のために、心を込めて淹れさせて頂こう」
最後に左手へと落とされた接吻けに、はこの上もなく嬉しそうに笑みを浮かべた。
(『難攻不落のクイーン』 Title by 恋花)