春の木漏れ日、桜の祝福
さらさらと流れる川の音と。
暖かな風に揺れる葉擦れの音。
それから――
舞い散る桜の花弁を見上げていた黒髪の少女が、ぱしゃぱしゃと飛沫を上げて走り寄ってくる。
「冬獅郎」
「おい、走ると滑るぞ」
自分のいる岸辺までやって来た少女を避けて、日番谷は川に垂らしていた釣り針を引き上げた。
先程から桜の花弁や泳ぐ魚を追いかけていたので、少女の白い肌はわずかに赤みがさしている。
日番谷の前に立つ少女――雛森 は、桜色の瞳を嬉しそうに細めていた。
幼馴染の少女の一日遅れの誕生日として、今日はふたりで休みを取って瀞霊廷のはずれにある河原に来ていた。
山とも森ともつかない場所の奥深いところにあるこの河原は、四季折々の自然を楽しむことができる上、人があまり来ないということでふたりの気に入りの場所であった。
今の季節はやはり桜だろう。綻び始めた蕾たちが、この自然に彩を添えている。
さやさやと吹く春風が時折、桜色の花弁を降らせる。
優しくふたりに舞い落ちる桜に、ゆったりとした時間が流れていた。
「冬獅郎。釣れた?」
「お前が近くで騒いでるから、魚がすぐ逃げる」
もともと釣るつもりで釣り糸を垂らしていたわけではないので、別に構わないのだが。
もそれは承知しているので、「ふうん」と返す。
「捕まえた方が早そうだね」
この少女なら、本当に捕まえてしまいそうだ。
「……魚が食いたかったのか?」
「別に」
「あれば食う、みたいなもんか」
こくりと頷いた少女を見ていて、ふと思い出した。
「そういえば、俺がいない間ちゃんと食ってたんだろうな」
日番谷の斜め上のあたりを見つめて考えていた少女が、やがて首を傾げながら首を縦に振った。
「曖昧だな」
「食べてたよ……たぶん」
たぶんかよ、と日番谷は嘆息した。
近くで魚が飛び跳ねたので、の興味がそちらへ移る。水を蹴散らして走っていった。
あまりに川の中を無邪気に走り回るので、膝まで上げられた着物の裾が少し濡れている。
その姿に「仕方のない奴だな」と笑って、日番谷は釣り糸を川に沈めた。どうせ釣れないのだろうけど。
「冬獅郎」
の声に視線を向ければ、相変わらず川の中を走ってくる少女。
「走ると滑るぞ」
「さっきも聞いた」
くすくすと笑う少女の声。
「釣りはやめたの?」
「やめた。今は昼寝だ」
が空を見上げたので、日番谷も同じように空へ視線を移した。
枝を伸ばす新緑の合間から、春の木漏れ日と晴れやかな空が覗いている。
寝転んだ草の感触が心地良い。
深呼吸をして、日番谷は静かに目を閉じた。
川の流れる音と、風の揺する樹々の音に、自分でも口元が緩むのがわかる。
幼馴染の少女が、その桜色の瞳でなにを見ているのか少し気になったが、未だ傍らに残るその気配に満足する。
さらさらと流れる川の音。
暖かな風に揺れる葉擦れの音。
瞼をくすぐる春の木漏れ日。
それから――
「冬獅郎」
のやわらかな呼びかけに、日番谷が翡翠の瞳を開くと。
視界に広がる、春の色。
愛しい少女の瞳と同じ、桜色の花嵐に。
驚きで目を瞠る日番谷の視界で、幼馴染の少女が白い布を広げている。
最後の一枚の花弁が舞うのを見届けて、はふわり、と笑った。
「お前の誕生日なのに、俺を喜ばせてどうするんだよ」
日番谷が呆れて笑えば、
「私も嬉しいから、いいの」
風に舞う桜の花弁と同じ、その瞳を細めて。
が無邪気に笑って、そう言った。