アリスの森

銀の言ノ葉、飾る蝶(後日談)

 雛森の髪飾りが新しくなった。
 銀細工の蝶と花のかんざし。蝶の羽には、少女の瞳と同じ桜色の硝子が填め込まれている。
 美しい銀細工はの気に入りであるが、なにより彼女が嬉しい理由は贈り主にあった。



 〉〉〉五番隊執務室にて



 執務室の外から良く通る声で入室許可を求める少女に、藍染 惣右介はいつものように穏やかに応えた。
 扉を開けて入室したのは十三番隊に所属する少女で、彼の副官・雛森 桃の妹であった。
「やあ、くん、久し振りだね。変わりはないかい」
「――お久し振りです、藍染隊長」
 穏やかに話しかける藍染に、は丁寧に挨拶を返す。
 幼いながらも人目を引く容姿は、笑みのひとつも浮かべれば言うことないのだが、人見知りの強い少女には難しいことだった。
「珍しいね。今日はひとりかい?」
 藍染の言葉に「はい」と返す。その言葉どおり、この少女がひとりで使いに出ることは珍しいのだ。
 大体が人見知りの強い少女を心配して、虎徹 清音や小椿 仙太郎あたりがついてくる。
 ついてくる位なら代わりに行ってくれれば要領良く済むのに、とは思っていたが、もちろん口にしたことはない。そもそも誰かが一緒についてくるという時点で少女には緊張を強いるのだ。
 先月など隊長である浮竹自ら使いについてきた姿を見て、「十三番隊は暇なのか?」と日番谷に言われた。
「――先日の合同演習についての報告書です」
 紐で綴じられた書類を藍染の机に置く。藍染がそれを受け取り目を通そうとした時、扉の向こうから声がかけられた。
 まもなく姿を現したのは、雛森 桃。
「あ、ちゃん、久し振りだね。今日はお使い?」
 久方振りに会う妹に対して笑顔で駆け寄る。その笑顔に、も緊張した空気を和らげた。
「雛森くん、おかえり。問題はなかったかい」
「はい、藍染隊長、大丈夫でした。それから、これは預かってきた書簡です」
「ご苦労様。せっかくくんもいることだし、休憩にしよう」
「はい。昨日買ってきたお茶菓子出しますね。あ、ちゃんは座って待ってて。ちゃんの好きな餅羊羹もあるよ」
 そう言ってが断わるいとまも与えずお茶の用意に行ってしまう。
 執務机を立ち上がった藍染は桃の背を見送ってから、をソファに促した。
 藍染を見上げたは相変わらず無表情だったが、人見知りの強い少女が困惑していることには察しがつき、思わず笑ってしまう。
「大丈夫だよ。なにも取って食おうという訳ではないから。それとも書類を届けにきたご褒美にお茶へ誘うくらいで、浮竹に叱られてしまうかな」
「――いえ、そんなことは……」
 結局断われないまま桃が戻ってきてしまい、はソファに腰をおろした。


 桃が最近あったことを話し、藍染が相槌を打つ。それを聞きながらはお茶に口をつけた。
 久方振りに会う姉は変わらず藍染に好意を寄せているのだなと思い、さらにその姉に好意を寄せる幼馴染の少年の姿をも思いだした。


ちゃん、かんざし新しくしたんだね」
 唐突に振られた話題に、無意識に件の銀細工へ手をそえた。
「――前のが壊れたから……日番谷隊長が……」
 の表情に変化はなかったが、雰囲気が和らいだように感じた。
「女性に贈り物だなんて、日番谷くんも隅に置けないな」
「綺麗ね、ちゃんに良く似合ってる」
 桃は立ち上がっての後ろに周り込み、銀の蝶をよく見た。
「蝶々の羽が硝子になってるんだ。ちゃんの目の色と同じだね」
「おまけに銀細工だなんて意味深だなぁ」
 藍染の言葉と髪をちょっと摘んだ動作に、は言わんとすることを察した。
「――あの……私、そろそろ戻らないと。……ご馳走様でした」
「こちらこそご馳走様」
 藍染のその言葉に揶揄いの色を感じて、は挨拶もそこそこに五番隊執務室をあとにした。


 ―――あの人はやっぱり侮れない。
 は常々思っていた藍染に対する評価を再認識し、十三番隊詰所へ足を速めたのだった。





「あんなに慌てて、かわいらしいね」
「……藍染隊長、日番谷くんに誤解されますよ」



 〉〉〉十一番隊管轄区にて



「あーっ、シロちゃんだ」
 ありがたくない呼び名を大音量で叫ばれ、日番谷 冬獅郎は眉間の皺を深くした。
「よう、日番谷。こんなところで珍しいじゃねえか」
 聞こえなかったフリをして立ち去ろうとした日番谷に、今度は十一番隊の主から声がかかり、仕方なく振り返った。
 振り返った先にいたのは予想どおり、更木 剣八と草鹿 やちるである。
「シロちゃん、なにしてるの? 暇なら一緒に遊んでく?」
 仮にも護廷十三隊の副隊長を拝命する者の言うことではないのだが。
「その呼び方はヤメロ。それに暇じゃねえよ」
「そーなの? ざーんねん」
「こんなところでなにしてたんだ」
「十一番隊に書類届けにきたんだよ。斑目に渡してあるから、早く戻って目を通せ」
 用事は済んだとばかりに日番谷が踵を返した時、ちゃんが、とやちるが前触れもなくその名を口にした。
 日番谷の足をとめるには充分な一言。眉間の皺がさらに深まる。
 対する十一番隊の二人は、意地の悪い笑みを浮かべている。
「……なんだよ」
 嫌々振り返る日番谷。
ちゃんの髪飾り、新しくなったんだね」
 やちるがにっこり笑う。
「……それがなんだよ」
 偶々通りかかった十一番隊の死神達が、三人を避けていく。
「日番谷、お前が贈ってやったそうじゃねぇか」
「テメェの買ったやつが壊れたから、新しく買ってやったんだよ。文句あるのか」
「別に」
 そうなのだ。が以前愛用していた硝子細工の蝶のかんざしは、この男が買ったものなのだ。
 護廷十三隊に入隊後、は何度か隊を異動しているのだが、その内 二度、十一番隊に所属している。更木とやちるが非常にを気に入っているせいもあるが、自身も二人に好意を持っているようなのだ。
 気になりつつもそのことで、日番谷が少女に問うたことはなかった。


 ―――だいたいコイツ、女になにか贈るなんてガラじゃねえだろ。
 心中で日番谷は毒づく。


「喜んでただろ」
「……は?」
のやつだよ。お前から貰って喜んでただろ?」
「あぁ」
「なら、良かったじゃねえか」
 更木の意図がわからず、少年は言葉を返すことができなかった。しかし、その声からも表情からも悪い印象はない。


「―――あぁ」
 ようやく発した日番谷の小さな言葉。
 それが聞こえたかどうか。更木は日番谷に背を向けると、「じゃあな」と言葉を残して歩いていってしまった。
「シロちゃん、バイバーイ」
 手を振っていた やちるも後ろ姿だけになった頃。





「―――そっちは十一番隊の詰所じゃねえだろ……」
 斑目に渡した書類はいつ見てもらえるのか、日番谷少年は心配になったという。