アリスの森

「なに……してるの?」
 足音もさせずに舞い降りた少女が、静かな声で問いかける。
 星空を見上げていた少年はちらり、と視線を寄越した。





「星を見てた」
 簡単に返すと、少女――雛森 は「……ふぅん」と、やはり同じように簡単に返した。
 その様子に、もっと他に言うことはあるだろ、と日番谷 冬獅郎は心の中で思っていた。

 例えばこんな所で、とか。(ちなみに此処は、十一番隊舎の屋根の上だ)

 久し振り、とか。(少女と顔を合わせるのは三日振りになる)

 いろいろと考えてみたが、結局 日番谷は何も言わずにため息をついた。なんだか自分ばかりが少女を想っているようで面白くない。
 すると、
「シロ」
 静かな声で名を呼ばれた。
 に名を呼ばれる。その瞳が自分を映している。
 これだけのことで機嫌が直るなんて、随分と自分も単純なものだ。日番谷は苦笑した。





 がふわりと傍らに腰を下ろすと、瓦の上に投げ出されている日番谷の右手に、自分の右手を重ねた。
 少女が日番谷の手に触れるのは常のことなので好きにさせておいたが、予想外の手の温度に些か驚く。
 それはも同じだったらしく、珍しく目を丸くして日番谷を見上げていた。
「手……」
「お前の手が温かいなんて珍しいな」
 苦笑気味に言うと、は眉を寄せて日番谷の手を両手で包み込んだ。
「私の手が温かいんじゃなくて、冬獅郎の手が冷たいんだよ」
 その硬い声からの心情が窺い知れた。
 少女の華奢な手から、じんわりと熱が伝わる。
 ふと、日番谷はあることに気付き、その温もりから己の手を離そうとした。
「お前の手が冷えるぞ」
「私の手はいつも冷たいから大丈夫」
「大丈夫の意味がわかんねーよ」
 日番谷が笑うと、も やわく笑みを浮かべた。
 久方振りに見た愛しい少女の笑みに、日番谷の心の内はふわりと暖かくなった。





「ところで、お前。待機中だろ。こんな所で暇食ってていいのか?」
 少女の所属している十一番隊は、数日前から管轄区に出没する虚討伐で立て込んでいたはずだ。
 四席を預かるが、隊舎内とはいえ執務室を離れていて いいのだろうか。
「一角と弓親がいれば大丈夫」
 しれっと言ってのけると、少女は包み込んでいた右手を離し、日番谷の前に華奢な手を差し出した。無言で反対の手を催促される。
 おとなしく左手を出せば、は機嫌良くその手を包み込んだ。
「……機嫌良いな」
 日番谷が問うと、
「そう、かな?」
 は微笑を浮かべて答えた。自覚はあるらしい。





 静寂が流れる。
 元々口数の多いわけではない二人なので、このように会話が途切れることは珍しくない。
 相変わらず、二人の足元――隊舎内では騒がしく隊員達が行き交っているようだが、此処だけ空間を切り取ったように静かだった。
 ぼんやりと星空を見上げている日番谷と。
 日番谷の手を優しく包み込んでいる
 本当に――静かだ。





「……もう大丈夫だ」
 日番谷が左手をひらりとあげると、少女からは不満そうな声が上がった。
 その様子に思わず口端が上がる。
「まだ冷たい」
「そんなに言うほどじゃないだろ」
 左手を握ったり開いたりしてみる。そもそも、まだ冬ではないのだから、かじかんで動き辛いということもない。
 ほら、とその手を少女の頬に滑らせれば。
「……やっぱり冷たいよ」
 そう言って微かな日番谷の手の温もりに、はその桜色の双眸をゆるく閉ざした。
「お前の方が冷たい、だろ」
 自分の温もりを分け与えるように、少女の温もりを感じるように、日番谷は両手での頬を包み込む。


 そのまま、無防備に閉ざされた目尻に顔を寄せれば。


 微かに震える少女の長い睫毛が唇に触れる。


 そうして――


 少女の唇に自分のそれを、そっと重ねた。


 翡翠を閉ざせば、そのひやりとした感触がさらに深まった。





 触れるだけの接吻けの後、唇を離したのと同時に桜色の瞳が日番谷を見上げてきた。
「こんな状況で軽々しく目を瞑るなよ」
 平静を装ってそう呟けば、目の前の少女はことり、と首を傾げた。
「戻る。お前も、もう戻れよ」
 はぁ、と深くため息をついて立ち上がると、日番谷は少女のいらえも聞かず、隣の建物へと飛び移ってしまった。










 日番谷の白い背が闇に溶ける頃、ようやくがぽつりと呟いた。


「こんな状況だから、だよ」


 ―――冬獅郎はやっぱりわかってない。

 少女のため息も、夜の闇へと溶けて消えた。

一番近くで輝く星