言ノ葉、ひらり
冬の控えめな陽射しの中、畳の上に色とりどりの薄和紙を広げる幼馴染の少女。
その後ろ姿を眺めながら、ずいぶんと機嫌が良いな、と湯呑みを傾けながら思っていた。
ゆっくりと覚醒する意識に、肌寒い冬の空気が触れる。
改めて朝だと認識したのは、隣の布団で眠っているはずの少女の姿がなかったからだった。
もう行ったのか、とぼんやりした頭で思いながら日番谷 冬獅郎は体を起こし、欠伸混じりに軽く伸びをする。
日番谷にとって、退屈で物足りない一日が始まりを告げた。
昨夜 隣に敷かれていた布団は、今は綺麗に畳まれている。押入れではなく其処に置かれたままなのは、寝ていた日番谷を慮ってのことだろう。
今日は現世任務があるからと夜が明けるよりも早く家を出て行った少女を思い、日番谷はちいさくため息をついた。
平素と変わらぬ無表情で告げられた幼馴染の「20日、現世任務が入った」という言葉に、日番谷も「そうか」となんでもない顔で答えたのは、12月に入って間もなくのこと。
元々約束をしていた訳でもないし、この時期は互いに仕事が忙しいのも承知しているので、日番谷とて何か言うつもりもなかった。
……なかったのだが、いざその時になってみると少しだけつまらないと思う自分がいて、この感情を持て余し気味になる。あの少女のことになるといつもこうだ。
―――やっぱり振り回されてる気がする。
度々思うことを今日も思い、もう一度ため息をついて日番谷は布団を畳もうと立ち上がった。
その時――
ふと、気付いたのだ。
枕元に置かれた紙片の存在に。
「何だ……?」
拾い上げた紙片は翡翠色の薄和紙で、綺麗に端を揃えて四つ折にされている。
覚えのないそれに首を傾げつつ、日番谷は柔らかな手触りの和紙をそっと開いてみた。
『 冬獅郎、おはよう 』
そこに並んでいたのは、日番谷の良く知る筆跡。
思いがけない置き土産に日番谷は軽く目を瞠った。
それは日番谷の想い焦がれる少女――からの、手紙とも言えない言ノ葉であった。
むず痒いような気恥ずかしいような、表現し難い思いが日番谷を襲う。
「そういえば、からの手紙なんて随分と久し振りだな」
未だ物足りなさは残るものの先程に比べると気分が上向いていることがわかり、相変わらず自分は単純にできている、と少し可笑しくなった。
しかし、それだけでは終わらなかったのだ。
布団を片付けた後、朝の光を入れるために開けた雨戸。
その向こう、庭に咲く山茶花の一枝に括られた縹色の和紙を見つけた。
「これもか?」
置かれたままの草履を突っ掛けて庭へ降りると、薄紅の山茶花に近寄る。
解いた薄和紙を広げれば、そこには――
『 冬獅郎、山茶花の盛りも終わりだよ 』
やはり、の筆跡で綴られた他愛もない言ノ葉。
「任務前にこんなことしてる暇があるのか」
少し呆れたように笑い、部屋へと戻る。
顔を洗って台所に入ると、少女の用意していった朝食が置いてあった。
白飯を盛ろうと茶碗を持ち上げれば、其処にも鳩羽色の薄和紙。
『 冬獅郎、召しあがれ 』
「……いただきます」
少女が側にいるような気がしてくる。今までだって仕事で互いが不在の時など多々あったのに、なんだか不思議な感じだ。
食べ終わった食器を片付けて、いざ家を出ようとした時。其処にもあった。
『 冬獅郎、いってらっしゃい 』
日番谷の草履の鼻緒に括られた、茜色の薄和紙。
なんだかなぁ、と苦笑いして、日番谷は口の中で「いってくる」と呟いて家を出た。
午前中いっぱいかかった隊首会がようやく終わり、十番隊へ帰る道すがら雛森 桃に出くわした。
「あ、日番谷くん」
何度言っても直らない桃の呼び方に日番谷は眉を寄せたが、桃は気にした様子もなく明るい笑顔で駆け寄ってきた。
「日番谷くん、誕生日おめでとう」
「ああ」
「プレゼント、五番隊に置いてあるの。後で届けるね」
「別に気を使うなって、いつも言ってるだろ」
「あたしがあげたいから、いいんだよ」
じゃあ後でね、と言って慌しく立ち去る幼馴染に、仕方ない奴、と笑って日番谷も十番隊へと足を向けた。
十番隊の執務室では、副官である松本 乱菊が珍しく書類に向かっていた。
そのことを伝えれば、松本は真面目な顔で、
「今夜の隊長の祝宴のために頑張ってるんです」
と返してきた。
「俺の意向は無視かよ」
「あの娘、今日は現世任務なんですよね。何時頃 戻ってくるんですか?」
「知らん」
茶を淹れに立ちながらまだ何事かを言い続けている己の副官を無視して、机の引き出しを開ける。いつも使っている硯と筆が、いつもとは違う状態で収まっていた。
黒い硯、薄茶色の筆、筆に括られた瓶覗の薄和紙。
まさか執務室にまであるとは思わず、瞠目する日番谷に松本が「どうかしましたか?」と声をかけてきた。
「いや、なんでもない」
松本が首を傾げながらも湯呑みを置いて自分の机に戻ったのを確認すると、日番谷は少女からの手紙をそっと広げた。
『 冬獅郎、隊首会おつかれさま 』
冬の穏やかな陽射しが揺れる執務机の上に、五枚の薄和紙を並べてみる。
そうして、ふと思い出した。
数日前にが同じようなことをしていたのを。
―――あの紙は何枚あった?
その時の記憶を辿る。
確か……翡翠色、縹色、鳩羽色、茜色、瓶覗、黄蘗色、千草色。それから、桜色。
並べられた薄和紙と見比べる。
「残りは三枚か」
日番谷のちいさな呟きに、松本が不思議そうにこちらを見ていた。
まるで日番谷の行動を見越しているようなの言ノ葉。
―――俺の行動、か。
特に何もなければ普段はこの部屋で書類の確認に追われている。
「松本」
「はい?」
「お前、この後の俺の行動が予想できるか?」
確認した書類を持ってきた松本が、訝しげに日番谷を見る。
「隊長の行動ですか? その書類を確認して隊長印を捺して、夕方になったら私たちと飲みに行く、ってところですか?」
「いや、最後のはいらねーだろ。でも俺が普段やってることっていっても、書類確認ぐらいだよな」
「いえ、最後の部分が一番重要ですよ。の筆跡ですね。なんですか、それ?」
「さぁな、あいつからの宝探しみてーなもん」
「宝探し……あ、そういえば」
ぱたぱたと給湯室に消えた松本が、ちいさな紙袋を手にして戻ってくる。
「昨日、が持ってきたお茶菓子ですけど」
よく知る和菓子屋の包みだ。その中身を机の上に出すと、和菓子がいくつか転がり出てきた。
日番谷は迷わずに甘納豆の包みを持ち上げると、その口を縛る紐を解いた。
かさり、と。
透明な袋と飾り袋の間から、ちいさく折り畳まれた黄蘗色の薄和紙が出てきた。
『 冬獅郎、休憩もきちんととって 』
「可愛い恋人にこんなこと言われたら、隊長といえども無視できませんよね」
「うるさいぞ、松本」
「そういえば私、春の騒動の後、隊長たちがまとまったっていう報告受けてないんですけど」
「いいから仕事しろ」
どうせ綾瀬川あたりから聞いているだろうに。しつこく聞いてくる松本に辟易しながら、一先ずは今日の分の書類を片付けることに決めたのだった。
いつもより順調に片付いた書類の束をちょうど報告に来た隊員に一番隊へ届けるように頼み、日番谷は大きく息をついた。
書類も片付いたし、急な任務もトラブルもなさそうだ。日番谷は昼寝をするためにソファに横になった。
「……あった」
仰ぎ見た扉上の格子のところに、千草色の薄和紙が挟まっていた。
和菓子を手にした松本が「今度はなんて書いてあります?」と聞くのを、日番谷は曖昧な返事で答えながら和紙を開く。
『 冬獅郎、これからお昼寝? 』
俺の行動パターンをよく把握してるな、と日番谷は小さく笑った。
執務室へと差し込む太陽の色が赤みを帯びてきた頃、松本 乱菊が大きく伸びをした。
日番谷も最後の隊長印を捺すと、他の書類に重ねて置き、椅子に寄りかかるように背伸びをした。
はそろそろ現世から戻っているだろうか。
そういえば、最後の一枚が見つかっていなかったことを日番谷は思い出した。
他に思いつく場所を頭に浮かべなら、今日の日報を書こうと頁を捲っていると。
頁の間に桜色の薄和紙が姿を現した。
一日の最後にふさわしい隠し場所に、日番谷が納得したように笑う。
おそらくからの最後の手紙であろうそれを丁寧に開く。
『 冬獅郎、す き 』
思わぬ言ノ葉に、日番谷は机に顔をうつぶせた。
動転しすぎてゴン、と鈍い音が響き、松本が驚いたように日番谷を見る。
「隊長……大丈夫ですか?」
らしくない自隊の隊長の姿に恐るおそる声をかけるが、日番谷はそのままの姿勢で「大丈夫だ」と答えた。
「……松本」
「はい」
日番谷はひとつ深呼吸をして、ようやく顔を上げる。
わずかに顔が赤い気もしたが松本は何も言わず、日番谷の言葉を待った。
「悪いが今夜は行けなくなった。埋め合わせは今度する」
「はい、わかりました」
意外にもあっさりと了承した副官は、にっこりと笑っていた。
まだが帰っているかもわからないのに、日番谷は家路へと急いでいた。
辿りついた玄関の前でわずかに乱れた呼吸を整えていると、からり、と軽い音がして目の前の扉が開く。
「冬獅郎、おかえりなさい」
白地に薄桃色の花刺繍が施された着物姿のが其処にいた。
「早かったね」
ことり、とは首を傾げた。
「―――手紙、」
「ああ、全部見つけてくれた?」
懐から出した薄和紙をに見せると、少女はやわく笑みを浮かべた。
「本当はもうひとつ、伝えたいことがあったのよ」
ちょいちょい、と白い手に招き寄せられて日番谷が耳を寄せれば、
「冬獅郎、誕生日おめでとう」
良く通るの声が、柔らかく日番谷の耳をくすぐる。
「ああ」
そっけない日番谷の応えに、がくすくすと喉を鳴らして笑う。
そうして廊下を進むの腕を掴んで引き寄せれば、目の前の少女は簡単にこの手に落ちた。
「どうせなら、」
「うん?」
「最後の手紙のあれがいい」
きょとんとした桜色の瞳が、すぐに納得したように細められる。
「冬獅郎」
の手が日番谷の頬に添えられて、桜色の瞳が翡翠の瞳を覗き込む。
「 好 き 」
触れ合わんばかりの距離で、が色めいた笑みを浮かべてそう言うから。
日番谷は迷わず、その唇に接吻けを落とした。