想いの泉
「また見てるんだね」
久方振りにかけられた声に苦々しい思いが広がった。
六番隊へ書類を届ける途中、よく知る霊圧を感じ足を止めた。
回廊の手摺り越しに階下を見下ろすと、離れた所に幼馴染と姉の姿を見つけた。
此処からはだいぶ距離もある。普段から霊圧を感じさせない少女の存在に、ふたりが気付いた様子はなかった。
姉がにこにこと常の笑顔で話しかけ、幼馴染が仏頂面でそれを聞いている。おそらく近況を伝えているのだろう。姉の明るい声が聞こえてきそうだ。
楽しそうに話す姉に、時折、幼馴染は呆れた表情を返す。
何事かを言われ、姉が顔を赤くして怒っている。からかわれただけだということは少女にもわかるので、姉にもわかっているだろう。
案の定、すぐに笑みを取り戻した。
桜色の瞳でその様子をじっと見つめていると、誰かが近付いてくる気配がした。
わざわざ人通りのない回廊を選んで来たのにと思い、次いでその霊圧に相手が誰であるかを悟る。
変わらずに談笑を続けるふたりを見つめたままでいると、2メートルの距離を開けて彼が立ち止まった。
「また見てるんだね」
少女が自分に気付いていることを承知で沈黙を守っていた彼が、小柄な背中にようやく声をかけた。
かけられた言葉に苦々しい思いが広がる。
声をかけた彼に対してではない。
正しく、かけられた言葉に対して、だった。
―――また見てるんだね。
思えば、この彼からの第一声はほぼこの言葉だった気がする。
―――本当に、苦々しいこと この上ない。
少女は――雛森 は、桜色の双眸を一度閉じ、静かに開いた。
緩慢な動きで振り返った少女を見て、彼――八尋は人好きのする穏やかな笑みを浮かべた。
「キミが出歩くなんて珍しい。こうして会うのは半年振りだね」
別にとて十一番隊に詰めっきりというわけではない。偶々この彼に出会わなかっただけだ。
の考えていることに気付いたのか、八尋は小さく笑った。
「瀞霊廷は広いから、意図して行動しない限り都合よく会えないね。でも、キミが人前に出ないのも本当だよ」
返事をしないの態度にも気分を害した様子もなく、穏やかな空気そのままに其処にいる。
と八尋は真央霊術院での同期であった。
世間一般の人間関係に照らし合わせれば、と八尋はそれ程 親しい間柄ではない。先程 彼も言ったとおり半年振りの再会であったし、その間 連絡を取り合う仲でもなかった。
しかしの性格と交友関係から見れば、充分親しい部類になるのだろう。
如何せん、この少女は極度の人見知り。そして、他人の顔や名前を覚えるのが不得手なのだ。
「元気そうだね。でも機嫌はよろしくないようだ」
の表情からは窺えない感情の機微を、八尋は実に巧みに拾い上げる。
幼馴染の少年とは別の意味で、彼には誤魔化しが効かないのも事実だった。
「僕に会ったせいかな? それとも見たくないものを見つけたせい?」
「――……別に」
言葉には含まれなかった前者への否定の内容に、八尋はやはり後者が原因かと納得する。
「気になるのなら声をかければいいのに。ふたりとも、なにをおいてもキミを優先すると思うよ」
黙り込んで視線を階下へ移す少女に、八尋はおや、と思う。
―――これは根が深い。珍しいことだ。
がこのように、人知れず少年を見ていることは珍しいことではなかった。
霊術院時代から、密やかに少年を見つめる少女は、決して「恋焦がれる」というような甘い雰囲気ではなかったが、彼女特有の静謐たる空気を醸し出していた。八尋の興を引いたのも、その静かで穏やかな空気が一因である。
しかし、今のからは穏やかさなど欠片も見当たらない。
唯々、静かで深い色が見えるだけ。
―――闇……ではない。けれど、深い、深い、感情の色だね。尤も何色であろうと、深すぎる色は底が見えなくなるだろうに。
「あまり深すぎると、溺れてしまうよ」
唯でさえ、キミは深みにはまりやすい――八尋の言葉に、無感情にが視線を返した。
の感情へ踏み込む、常とは違う八尋の言葉は――
「――珍しい」
「そうでもないだろう。今日は彼だけではないからね」
少年の隣にいるのが他の誰でもない少女の姉だから、少女は桜色の瞳に深い色を落としているのだ。
「――なら、その先は言わなくていい」
「自覚があって何よりだ」
やはり穏やかなまま八尋が笑った。
「おや、」
少女の肩越しに階下の人物と目が合った。
此処からは距離があるので、実際に目が合ったかは判断し難いが、此方に気付いたことは確かだろう。
「キミの王子様に気付かれてしまったかな」
八尋の言葉に眉を寄せ、霊圧を探る。確かにふたりが此方に向かっているのがわかった。
の表情が冴えない。ふたりに――というより、少年に会いたくないのだ。
仕方がないな、と八尋はため息をつく。
「それ、どこの書類?」
気もそぞろな少女は、八尋の問いかけに桜色の瞳を返した。
「――六番隊」
「うちだね、届けてあげる。ほら、貸してごらん」
「――ありがとう」
「どういたしまして。ほら、早く行って」
逃がしてあげるのは今日だけだよ、という八尋の言葉に。
「――この前も言ってた」
憎まれ口をきいては去っていった。
「おい」
後ろからかけられた声に、逃げそびれてしまった八尋はため息をつきたくなった。
振り返ると予想どおり、日番谷 冬獅郎と雛森 桃が立っている。
日番谷は八尋の顔を見て軽く目を見張ったが、すぐに表情を戻した。
「今、此処にいたのは?」
「十一番隊の雛森 四席です」
「話をしていたようだが、」
「うちの隊への書類を持っていらしたので預かりました。その時に少し説明を受けましたが」
「そうか。引き止めて悪かったな」
「いえ」
踵を返す日番谷の後を、ぺこりと礼をして桃が追いかける。
―――これは、見つかってしまったかな。
少年の大切なお姫様。
彼女に構う自分の存在を今の今まで隠してきたのだが、とうとう見つかってしまったようだ。
あらぬ誤解を受けるのは回避したいところだが。さて、日番谷はどう思ったか。
「嫉妬の目で見る彼女に、貴方はいつ気付くのかな」
早く気付いてあげればいいのに、と思った。
(『揺らめく恋と10の言葉たち』 Title by 恋花)