意外に彼は……
「日番谷隊長、最近よくいらっしゃいますね」
そう言われて十番隊隊長は苦い顔をした。
昨日、自隊の副隊長にも似たようなことを言われたばかりだった。
自分の執務机にあった最後の一枚に目を通した後、それらの書類を揃えて日番谷 冬獅郎は立ち上がった。
その様子に気付いた松本 乱菊が顔をあげると、こちらを向いた日番谷と目が合う。
「松本、処理済みの書類を寄越せ。各隊に届けがてら、俺は昼に入る」
「急ぎの書類でしたら、他の隊員に届けさせますよ」
「別に急ぎってわけじゃねえ。単なる気分転換だ」
わざわざ彼女の机までやってきた日番谷に「気分転換ですか」と繰り返し、松本は手元の書類を渡す。
持っていくと言うのを無理に止める理由もない。
「では、お願いします」
―――そんなやり取りで始まった日番谷の「気分転換」も、今日で二週間になる。
正午を少し回った頃。かたり、と音を鳴らして日番谷が席を立った。
最近の習慣に松本は顔をあげて日番谷を見やる。
「今日も気分転換に行かれますか?」
「ああ」
「急にどうしたんですか?」
気分転換というなら、たまに行うのが普通ではなかろうか。
不思議そう、というより興味深そうに松本が聞いた。
「彼方此方に行かれるのに、何か理由でもあるんですか?」
松本の悪戯めいた笑みと問いにも動揺を見せることなく、日番谷は平然と答えた。
「書類の届け先がばらばらなんだから、彼方此方に行くのは当たり前だろ」
「まぁ、そうなんですけど。書類のついでに何かあるのかと思いまして」
「別に」
じゃあ、後は頼んだぞ――そう言って執務室から出て行った日番谷と入れ違いに、桃と阿散井がやってきた。
「こんにちは、乱菊さん。日番谷くんは昼休憩ですか?」
「あら、いらっしゃい。急ぎの書類だった?」
「いいえ、大丈夫です」
「乱菊さんでも真面目に仕事することってあるんスね」
「恋次、叩き潰されたいの?」
「……すんません」
とってもいい笑顔の松本に、阿散井は早々に頭を下げた。冗談でも脅しでもなく、この人なら本当にやるだろう。
その様子を朗らかに笑って、桃が書類と一緒に手土産を差し出した。
「三好屋の近くでお昼食べたんで、大福とお饅頭買ってきたんですよ。乱菊さん、忙しいですか?」
「いいわねぇ、休憩にしましょ。ほら恋次、お茶の準備しなさい」
「へーい」
「阿散井君、あたしがやるよ」
「いいのよ、雛森。恋次にやらせておけば」
続き部屋に設けられた給湯室でカチャカチャと湯呑みの鳴る音がして、間もなく阿散井が茶を淹れてきた。
「他の隊なのに慣れてるね」と言う桃に、阿散井が「ほっとけ」と苦い顔をする。実際慣れているのかもしれない。
「今日は吉良の奴はどうしたのよ」
日番谷の甘納豆をよけてから、松本が豆大福を片手に聞いた。
阿散井が十一番隊に移動してからも、同期であるこの三人はよく行動を共にしているのだ。
「吉良くん、今日は現世任務なんですよ。怪我しないで帰ってくるといいんですけど」
「だーいじょーぶでしょ。あいつ、あれで腕はいいんだから。ところで、最近うちの隊長どう?」
「どうって……日番谷くん、何かあったんですか?」
「いや~、最近やけに他の隊に行きたがるから、何かあるのかと思ってさぁ」
尾行しようかと思ったんだけど、見つかると後が面倒でしょう。――あっけらかんと言う松本に、ふたりが渋い顔をする。
「普通、自分トコの隊長を尾行とか考えないっスよ」
「日番谷くん、仕事してないんですか?」
「えー、してるわよ。私よりしてるんじゃないの?」
威張って言うことではないのだが。
「でも、確かに最近よく書類届けにみえますよね。弓親さんがウチの四席に会いに来てるんじゃないかって言ってましたけど」
「あんたのトコの四席? ああ、あの娘ね」
十一番隊の第四席――雛森 のことだ。日番谷の幼馴染で、桃の妹である少女。
確かに日番谷は、あの少女に対して随分と過保護らしい。
しかし――、
「書類を届けてるのは十一番隊だけじゃないわよ。日によっては十一番隊への書類がない時だってあるし」
「そうなんですか? じゃあ弓親さんの勘違いっスね」
「時々見かけますけど、別に変わった様子はなかったと思いますよ」
茶の減った湯呑みに継ぎ足しながら桃が言う。
ありがと、と礼を言って松本は茶を飲んだ。
「本人に聞いてみたらどうですか?」
「聞いたら『気分転換だ』の一言。もう二週間も続いてるのよ」
「二週間前に何かあったんじゃないですか?」
「二週間前、ねぇ」
何かあったかしら?――松本の呟きに、桃も一緒になって考える。
それを見ていた阿散井が三つめの饅頭を手に、口を挟んだ。
「二週間前って言ったら、が現世任務から帰ってきた頃っスね」
「それよ!」
松本が指をさす。
「が任務で大怪我をしたから、隊長は心配で様子を見に行ってるのよ!」
「いや、ならぴんぴんしてますが……」
「乱菊さん、勝手にちゃんを怪我人にしないでください。縁起でもないですっ」
「つーか、書類届けてるのはウチだけじゃないって、さっき言ってたじゃないっスか」
「あーそっか。じゃあ、何が理由なのかしら」
阿散井の冷静なツッコミと桃の反論に、松本はがっかりしてソファへと沈み込む。
―――隊長格ともなると、プライベートも何もあったもんじゃねーな。
あれこれと推論を述べるふたりを横目に、阿散井は此処にはいない日番谷に向かって労いの言葉を思ったのだった。
「あ、日番谷くん、乱菊さん。こんにちは。今日はふたりで書類届けですか?」
昼休憩で賑わう十一番隊の隊舎付近で、十番隊の隊長・副隊長は桃に声をかけられた。その近くには例によって阿散井と吉良がいる。
「雛森、『日番谷隊長』だろ。ちゃんと呼べ」
「今日は十三番隊に行ってたのよ。あんた達は何してるの?」
「書類届けに来たついでに、みんなでお昼でも食べようかって話してたんです。ご一緒にどうですか?」
「あら、たまには賑やかなのもいいわね。隊長もいいですよね」
「折角だが、俺は遠慮する。お前だけ行ってくればいい」
付き合い悪いですよー、と騒ぐ松本を適当にあしらっていた日番谷が、ふいに振り返った。
ふたりのやり取りを見ていた他の者たちも、その動きにつられて視線を向けた。
視線の先では特に変わったことはなかったが、数秒の後、角を曲がってひとりの少女が姿を現した。
長い黒髪を上の方だけ纏めてかんざしを挿し、残りの髪は華奢な背に流している。彼女の特徴である桜色の瞳は判別できないが、遠目からも整った顔立ちは見てとれた。
探査能力の高い少女も此方の様子には気付いていたようで、視線をあげて歩いてきている。そして、まもなく五人の元へやってきた。
「――皆さん、どうかされましたか?」
無表情のまま僅かに首を傾げると、その背でさらりと黒髪が揺れた。
「偶々、通りかかっただけだ」
桃が口を開くより早く、日番谷がそう言い切った。
「、お前 昼は?」
「この書類を詰所に置いたら、昼食にしようかと思ってた」
「なら、ちょうど良かった。俺もこれからだから、一緒に食いに行かないか」
「うん」
行くぞ、と声をかけて日番谷はすでに踵を返していた。
は、残された四人に一礼して日番谷を追いかける。
なにも口をはさめなかった四人はというと、ふたりの姿が見えなくなるまで見送っていた。
「日番谷隊長って意外に、」
「今日は何番隊に行ってたんだ?」
「六と八と九。でも今日で終わり」
斑目と綾瀬川との賭けの期日も今日までだ。
提出期限の過ぎた書類を他の隊に届け、隊長印を貰ってくる役目。は賭けに負けて、ここ数日 苦手な外回りをさせられていた。
もう十一番隊を出なくて済むようになる。そのことに喜んでいる少女を見て。
明日からはどうやって『気分転換』をしようかと、日番谷少年は考えていた。