はじめて見つけた、寂しい瞳
「トラベオの作戦、『夜明けの風』に先回りされてしまったのね」
ロルフからのトラベオ攻略撤退の報告を受けていた、まさにその時。
司令室の外から かけられた声に、そこにいた革命軍の者達は一様に警戒の色を示した。
しかしナオジだけは、驚きの中に懐かしさを含んで顔をあげる。
同志の誰何の声と共に開け放たれた出入口に見えた姿は、はたして予想どおりの人物だった。
不審者を捕えようとしていた兵士ですら思わず目を奪われてしまう、女神もかくやという美貌と存在感は、確かにナオジの、いやこの場にはいない彼等の指導者であるルードヴィッヒもよく知る少女。
「……様」
「このタイミングでその呼称を使うなんて迂濶ね、石月 直司少尉」
ナオジの呼び掛けに苦笑を滲ませた声で返したのは、ローゼンシュトルツ学園で一学年下の後輩であった少女。そして――
「……・ザーラ・フォン・クーヘン王女殿下」
―――このクーヘン王国を統治するリヒャルト三世の末姫だ。
呆然とした表情でロルフが目の前の少女の名を呟く。
当然だろう。まさかクーヘン王室の関係者、それも その立場を追われている王族が、敵である革命軍の駐留地に姿を現すなど普通であれば考えられないことだ。
―――しかし彼女ならば、それも有り得るか。
ナオジの知る少女は、必要以上に権威を振りかざすことはなく、男顔負けの剣技と知識をもち、自分の能力と魅力を余すことなく発揮できる したたかさを持っている。また、ふらりといなくなることも度々あり、少し旅に出ていたと戻ってくる。実に王女らしからぬ人物であった。
「久し振りね、ナオジ。変わりはなくて?」
「ええ、お気遣いありがとうございます。様もお元気でしたか?」
ナオジはの前まで進むと、片膝をついて少女の手を取る。そして静かにその指先へ接吻けた。
普段こういった挨拶が苦手なナオジだが、彼女相手には自然と振る舞えてしまう。やはり彼女から感じられる、王女としての威厳のせいだろうか。
「仮にも革命軍隊長が部下の前で敵相手に膝を折るなんて、あまり褒められたことじゃないわね」
「……あなたを敵だと認識したことはありませんが」
「今は味方にも なり得ないでしょう」
は、にこやかに言ってのけた。
少女の言葉でその場に不穏な空気が流れる。
その変化にナオジはため息をつきたくなったが、辛うじて飲み込んだ。彼女の言葉に嫌味も含みもないことを知っている。
「様、お時間が大丈夫でしたら お茶でもいかがですか」
「私は大丈夫だけど、あなたは忙しいのではなくて?」
「30分ほど待って頂けますか?」
ナオジは穏やかに微笑んだ。学園にいた頃と変わらぬ穏やかさに、も同じように返す。
「では、このお茶とお菓子を楽しみましょう」
少女の差し出す包みを受け取り、中を確認したナオジは笑みを深めた。
入っていた菓子は彼女が贔屓にしている店のマドレーヌとクッキー。しかし茶葉はクーヘンでは珍しい日本茶であった。
「すぐに用意します」
「あなたの仕事が済んでからでいいわ。気にしないで」
ナオジは軽く頷くと、を自分の私室へ案内するように兵のひとりに指示をする。が退出する為に扉を開けながら、「すぐに参ります」と告げた。
その言葉に少女は美しい笑みを見せた。その場にいた者全てが魅了される笑みを。
「お待たせして申し訳ありません」
約束の時間より少し過ぎてやってきた黒髪の青年は、律儀に謝罪の言葉を口にしてテーブルに茶器と菓子を置いた。
はナオジの姿を認めると、読んでいた本に栞を挟んで閉じる。
「どうぞ。熱いので気を付けてくださいね」
「ありがとう、ナオジ」
湯呑みに注がれた緑茶にが微かに笑う。
「どうかされましたか?」
「いいえ……この湯呑みがここにあるとは思っていなかったから」
「自分にとって大切な物のひとつです。以前にもお伝えしませんでしたか?」
の口許が弧を描く。二人が親しくなり、今日のように一緒に茶会をするようになった頃、が日本から取り寄せたのがこの湯呑みと急須だ。
は混乱の最中、これらが彼の手元にあるとは思っていなかった。ナオジの律儀さには本当に感心する。
「―――もうこんな時間なのね。そろそろ帰らないといけないわ」
懐中時計の蓋を開いて時間を確認したが、立ち上がってストールを肩にかけた。
ナオジも見慣れた百合の細工が施された その懐中時計は、ルードヴィッヒが少女の為に作らせた物だと聞いたことがある。
「お送りします」
ナオジが心配と名残惜しさを含ませてかけた言葉は、しかし、やんわりと断られた。
「ありがとう。でも大丈夫よ。適当なところで連れを待たせているの」
名残惜しさなど微塵も感じさせないの態度に、ナオジは少しだけ寂しさをもって見つめた。さっぱりした彼女らしい別れだ。
「―――それにしても……」
先に扉近くまで歩を進めたが、あわててやってきたナオジの黒曜石の瞳を見上げた。ナオジも菫色の瞳を見つめ返す。
「僅かな時間でもルーイに会えればと思っていたけれど、いなくて正解だったわ」
「様」
の意図がわからずに、咎めるような声になる。
「だって、あなた相手でもこんなに離れがたいんですもの。ルーイがいたら、きっと離れられなくなってしまうわ」
初めて寂しさを滲ませて、目の前の少女は笑った。