アリスの森

秋祭/やきもち

「ねぇねぇ、花井君」
 ちょこちょこと寄っていったのは、同じ7組の
 頭ひとつ分高い位置から見下ろしたのは、野球部主将の花井 梓。
「あのね、ちょっと聞きたいんだけど……」
 ふたりが話す様子を見ていたのは、自販機でジュースを買ってきた水谷 文貴だった。





「そういえば、来週の土日って秋祭りがあるんだってよ」
 水谷の言葉に、帰り支度をしていた野球部の面々が顔を上げた。
「なぁ、田島」
「おう。毎年あるけど楽しいんだぜ」
 話題を振られた田島が、脱いだままの練習着をカバンに詰め込みながら返事をする。裏返しくらい直せ、と言う阿部の言葉はスルー。
「へぇー、秋祭りって何すんの?」
 栄口が人好きのする笑顔で聞いた。
「出店が並んで、神輿とか山車がでるんだ。この辺一帯を通行止めにしてさ、すっごい楽しいよ」
 焼きそばとか、じゃがバタとか、イカ焼きとか――と出店の種類を挙げる田島に、慣れたように泉が「食いモンばっかじゃねーかよ」と突っ込む。その隣では三橋が「おいし そ う」と喜んでいる。
 部室内は秋祭りの話題で盛り上がり始めた。
「にしても、水谷はよく知ってたな」
「うん、が言ってたからね」
 、という名前に、田島が反応する。
?」
「そう」
「ふーん」
 田島の様子に、「あ、面白くないんだ」と思ったのはその場にいた全員で。その理由にも気付いていた。


 西浦高校1年7組に在籍する は、田島 悠一郎の家の隣に住む、所謂 幼馴染というやつだ。
 明るい性格の彼女は男女問わず誰とでも仲良くするので、そのことで田島が機嫌を損ねるのも今日が初めてではなかった。


「えっと、が花井に言ってたんだよね」
 この場にはいない花井のせいにしてみる。

 ―――ごめん花井、次の試合は点入れるから。いや、でも、実際には花井に話してたし、オレ悪くないよな。うん、そうだ。

 数秒の葛藤の後、すっきりした顔で水谷が続けた。
「昼休みの時にさ、来週の土曜日は部活あるか聞いてたから。秋祭りに行きたいって言ってたんだよね」
 部室内の気温が下がった気がした。
 その時――
「あれ、何してんだ?」
 なにも知らない花井が戻ってきた。
「来週の土曜の夜は、野球部のみんなで秋祭りに行こうって話してたんだ。もちろん花井も行くよな」
 田島の有無を言わせぬ笑顔に、否を唱えることなど誰ができよう。
 こうして、西浦高校硬式野球部の来週土曜日の予定は決まったのだった。





「おー、ー」
 秋祭りのある土曜日。なぜか野球部と一緒に行くことになったが、約束の時間より少し早く第2グラウンドへ行くと、早速大きな声で名前を呼ばれた。
 聞き覚えのある声に声の主を探すと、ベンチから幼馴染の少年が飛び出してくるのが見える。
「ゆーちろー、部活、終わったー?」
「終わったよ。部室戻って着替えるから、もうちょっと待ってて」
「んー、一緒に行くー」
 みんなが着替えている間、は部室の前にある花壇に腰掛けて空を見上げた。まだ空は明るいが、あと一時間もすれば日も落ちるだろう。秋の夕暮れはあっという間だ。
 お囃子が聞こえる。くる途中に通った道には提灯が下がっていて、灯りがともされていた。
「祭り、楽しみ?」
 お囃子に合わせて鼻歌をうたっていると、いつの間にか着替えの終わった田島が近くにいた。
「うん。悠一郎と一緒に行くの、毎年、楽しみにしてるんだよ」
 とびっきりの笑顔で返されて、田島も同じように笑った。
「早く行こう!」





「あれ? さん、田島は?」
 チョコバナナの屋台のじゃんけんで盛り上がるメンバーを横目に、栄口がふと辺りを見回した。一番大騒ぎしそうな少年の姿が、いつの間にかいなくなっていたのだ。
 じゃんけんに勝って手に入れたピンクと こげ茶のチョコバナナを両手に、通りの反対を見つめるは、一度栄口を見上げ、すぐに視線を戻した。
「あそこ、じゃがバタ買ってる」
「あ、ホントだ。さっき焼きそばと お好み焼き食べたのに、まだ食べるんだ」
「栄口、、神輿くるって。見に行こうぜ」
 結局、以外はじゃんけんに勝てなかったようで、色とりどりのチョコバナナを片手に歩き始めていた。花井がふたりを振り返って促す。
 が田島へ視線をやる。隣にあるカメすくいを眺めながら、まだ並んでいた。
「悠一郎がじゃがバタに並んでるんだよね」
 花井と栄口も同じように田島を見る。そして、ふたりは顔を見合わせると、今度はを見た。その顔には笑みが浮かんでいる。
「よし、田島のことはに任せた」
「は?」
「なにかあったらケータイに電話してね」
「え?」
「じゃーな」
「ひとりでいると危ないから、田島から離れちゃだめだよ」
 止める間もなく、花井と栄口は行ってしまった。


「あれ、みんなは?」
 じゃがバターを買ってきた田島が辺りを見回す。
「神輿が来てるから見に行ったよ。あたしは悠一郎のお目付け役」
「……そっか。じゃあ、向こう見にいこ」
「みんなが行ったの、逆だよ」
「いいから」
 田島が左手を差し出す。
「野球部のみんなと お祭りに来たかったんじゃないの?」
 差し出す手はそのままに、田島はそっぽを向いた。

 ―――あの顔は、ヘソ曲げた時のゆーちろーの顔だ。

 ため息をついて右手を重ねる。重ねた手のひらは、いつもよりも少しだけ体温が低い気がした。
「―――が……」
 田島がの手を握る。
「秋祭りに行きたいって、花井に言ったって聞いたから」
「だって毎年、悠一郎と来てるでしょ。今年も一緒に来たかったんだもん」
「へ?」
 目を丸くした田島を、も不思議そうな顔で見上げた。
 立ち止まっているふたりに人並みがよけきれずに ぶつかる。軽い衝撃でよろけるに、ようやく田島の思考も動き出した。手を引いて、人を避けて歩きながら田島は口を開いた。
「花井と一緒に行きたかったんじゃないの?」
「は? 花井君と? なんで?」
「…………」
「あたしが花井君と秋祭りに行くと思ったから、みんなを誘ったの?」
「…………」
 わき道へ逸れる石段の手前で、が立ち止まった。屋台も提灯もないこの階段を下りると、大通りへの近道になるのだ。
 呆れ顔で目の前の少年を見上げ、そのバツの悪そうな顔にため息をついた。つないでいた手を一度離し、左手に持ったままの こげ茶のチョコバナナを差し出す。
「だいたいさぁ――」





「付き合ってるのに、彼女が他の男を誘うとか考えるかなぁ、普通」
「田島はさんに べた惚れだからね。周りが見えなくなるんじゃない」
「なんにしても、これで気兼ねなく祭りが満喫できる」
「ははっ、おつかれさん、キャプテン」