約束の有効期限
―――野球と私と、どっちが大事なの?
なんて今更、聞くつもりはないけれど(言えた義理でもないし)。
でも、あの時の『約束』はまだ有効なのかな、ってやっぱり考えちゃうんだよ。
「ゆーちろー」
少女―― が前を歩く幼馴染の少年を呼んだ。
振り返った田島が「なに?」と目で訊いてくる。
「放課後、野球部に行くの?」
「おうっ、楽しみだよな」
「……ゆーちろーだけね。私は楽しくもなんともない」
は ぼそっと呟いた。田島には聞こえないように。
にしてみれば、野球部に田島をとられてしまう高校生活の始まりだ。三年間は長いだろうなぁ、とため息をつく。
「はどうするんだ? またテニス部か?」
「テニスはもういいや」
は中学の三年間、テニス部に所属していた。
それだって田島が野球に入れ込んでるから、自分も何かしてみようと思って入部しただけ。入部したからには毎日 真面目にやったし、充実した三年間だったと思っている。
「もったいねーの。シングルスじゃ、けっこー良いトコまでいってたのにさ」
「そこそこね。他のことも試してみたいし」
「ふ~ん」
じゃあさ、と田島が立ち止まり、同じように立ち止まったの顔をのぞき込む。近すぎる距離にが半歩下がった。
「野球部のマネジやればいーじゃん。なぁ、そーしろよ」
野球部のマネジ――。
「―――ムリ」
「なんで!?」
「野球のこと、全然わからないもん」
「別にだいじょーぶだって」
「いや、大丈夫じゃないよ」
そんな適当な気持ちではダメだ。春休みも欠かさず来ていた人達がいるっていうのに、そんな失礼なことはできない。
―――悠一郎と一緒にいられるのは魅力的だったけどね。
甘い誘惑にも負けず、常識的に判断できた自分を褒めてあげたい。そう思ったに、
「がマネジやってくれれば、部活の時も一緒にいられたのになー」
ちぇっ、と残念そうに言われた田島の言葉に、の決心が早くも揺らぎかけたのは内緒だ。
家の門に寄りかかっていれば、珍しくも待ち人は明るいうちに帰ってきた。
そして、が声をかけるよりも先に気付き、駆け寄ってくる。
「、こんなトコでどーしたんだ?」
「んー、悠一郎を待ってた」
「そっか、ただいま」
「うん、おかえり」
「がこうやって待ってるのって久し振りだよな」
前はよくこうやって待ってたじゃん――田島の言葉に、は曖昧に頷いた。
実は久し振りでもなんでもない。
田島の言葉どおり、小学生の頃は野球に行った田島の帰りを待って、こうして家の前でひとりで待っていた。
彼がボーイズリーグに入ってからは そんな姿も随分と減っていたので、田島は知らないのだ。中学の時だって、が幼馴染の帰りを外で待っていたことを。
―――待ってても帰りが遅いから、会わなかったんだよ。
「悠一郎、疲れてる?」
「いんや、へーき。どーした?」
太陽が沈むまで、まだ時間がある。
「駅前の本屋まで行きたいんだけど……一緒にきて?」
幼馴染の少年が断るはずがないことは重々承知していたけど、わがままを言う時はやっぱりどきどきする。
高校生にもなって、こんなわがまま。呆れられやしないか心配になるだけでなく、少し自己嫌悪にも陥ってしまう。
「いいぞ。ちょっと待ってろ、そっこーで着替えてくるから」
田島の明るい了承に、は安堵の息をついた。
田島は約束どおり、すぐに着替えて飛び出してきた。
昔と変わらず自分の願いを叶えてくれる少年に、は嬉しさを覚える。
別に、わがままを聞いてくれるから嬉しいわけではない。まだ田島の中には、の居場所があることがわかったから。
「うわ、私って暗いなぁ」
思わず呟いた言葉は、隣の彼に聞こえてしまったようだ。少年が不可解だ、という顔をした。
「暗いって……が?」
「うん、そう」
「なんで? 、7組だっけ。誰かにそう言われたのか?」
「えっ、違うよ。そんなこと言われるほど、クラスの子とは話してないし」
「じゃあ、なんで?」
「えー、なんでって聞かれても……そう思ったから……?」
田島の表情は不可解そうなそれから、考えるようなものへと変わった。
今度は隣で見上げていたが、不思議そうな顔になる。
「……、ケーキ食っていこうぜ」
数メートル先に見えた気に入りの喫茶店。の返事も聞かずに、田島は少女の手を掴むと足早に歩いていった。
「で、どーしたんだよ」
テーブルへ座ってすぐに田島はそう聞いた。今にも身を乗り出さんばかりだ。
「どうって、なにが?」
メニューを広げようとしていたは、なんのことやら。
「が暗い、って。どーしてそんなこと思ったんだよ。なんか悩みでもあったか?」
らしくない少年の真剣な様子に、は目を丸くし、次いでなんと答えてよいものか悩んでしまった。
あの発言自体、そんなに深刻にとられるようなことでは なかったのだ。
野球第一の幼馴染にほったらかしにされて つまらない、とか。
ずっと前から好きなのにそれが言い出せない、とか。
子どもの頃の『約束』に縋らないと一緒にいることもできない、とか。
その『約束』だって彼が覚えているのだろうか、とか。
そんな程度だ。ちいさい悩みだと言い切るにはの中を占める割合が大きすぎるが、田島に深刻になられる程ではない。
そもそも、田島が原因だ。では、ここはひとつ、本人にはっきり言ってみるとか。
―――ていうか、誰が言うのよ。言えれば苦労しないって。
「」
内なる自分に突っ込みを入れていたを、焦れた田島が呼ぶ。
「えっ、なになに?」
「そんなに言いづらいことなのか」
「違う違う。んーと、別に悩みがあるわけじゃないし、あの言葉自体にも深い意味があったわけじゃないよ。ちょっとネガティブな自分にひとり突っ込みというか、そんな感じ」
心配かけてゴメンね――手を合わせて謝ってみれば、田島はテーブルに突っ伏して「はぁ――」と息をついた。
「なんだよー。心配したじゃんか」
「そんなに心配されるとは思わなかったから、私もびっくりした」
テーブルに伏したまま田島が見上げる。
「夕べ、も言ってただろ。オレ、春休み中は野球ばっかだったって」
「野球に夢中だったのは中学の三年間も、だよね」
「うっ……そうだけど」
「まぁ、過ぎたこと言っててもしょうがないよ」
が田島にメニューを向ける。ちらっと見たメニューの「今月のオススメ☆ケーキセット」を指さすので、は店員を呼んで注文を済ませた。
「……野球ばっかで ちっともと一緒にいてやれなかっただろ。悩みがあるとか聞いてやってなかったから、それで心配したんだよ」
田島の思いがけない言葉に、は目を瞬いた。
何も言わないに、田島はバツの悪そうな顔をした。
「ずっと一緒にいてやるなんて約束したのに、あんま守れてねーじゃん」
「悠一郎、野球 大好きだもんね」
「……のことだって大好きだよ」
「え?」
何気なく言われた少年の言葉に、思わず聞き返してしまった。
「……オレにとっては大事な妹みたいなもんだし」
「―――あー、うん。そうだね」
私も悠一郎のことは大好きだよー。
田島の言葉と同じように返しながら、は自分の心臓の音が彼に聞こえてしまうのではないかと焦った。
不意打ちもいいところ。こんな展開になるとは、世の中 都合良くできているものだ。
覚えているかも怪しいと考えていた幼馴染との『約束』の有効性が、こんな風に明らかにされるとは。
しばらくの間は安心して彼の隣にいられそうだ。
それにしても――
―――よりにもよって妹とは。よくも言ってくれたもんだわ。
運ばれてきたケーキにフォークを入れて、は再戦を誓うのだった。
(『幼馴染みの恋物語』 Title by 恋したくなるお題)