アリスの森

親友でもなく恋人でもなく……?

「あれ、かわいいね」


 傍らの少女が不意に立ち止まって呟いた。
 つられて少年もそちらに目をやった。
 少女の視線の先には、色とりどりの硝子玉を使ったおもちゃの指輪。
 繋いでいた少女の手が離れそうになったので、少年はしっかりと手を握り締めた。
 その手を離す気はなかったから、手を引いて少女の望みの屋台へと近付く。

「どれ?」
「これ。――お姫様のティアラみたい」

 うっとりと見つめる少女の示す先には、薄いピンクと赤い硝子玉で飾られた、銀色のちいさな王冠があった。

「欲しいの?」
「うん」
「じゃあ、僕が買ってあげる」

 ちいさな指輪は、少女の細い指には少しだけ大きかった。
 でも、光を反射するピンクと赤の指輪を見て、少女はとても嬉しそうに笑う。

「……お母さんの指輪は、結婚式でお父さんに貰ったって言ってた」
「なら、  は僕のお嫁さんになるんだね」
「いいよ」
「ほんと? 約束だよ」
「うん、約束」


「お姫様のティアラじゃなくて、お嫁さんの指輪だね」

 もう一度 指輪を見て、少女が嬉しそうに笑った。





「というのが必要かしら」
「…………」

 出窓に腰掛けて本を読んでいた少女が、そこから目を離すことなく話しだした内容。
 意図するところが わからずに、雲雀 恭弥はとりあえず視線だけを少女にやった。
 幼馴染の少女・ は、なにをやらせても大概のことは人並み以上にこなす、幼馴染の欲目を差し引いても聡明で綺麗な少女だと思う。
 聡明な彼女は、時折その聡明な頭脳で突拍子のない思考を展開する。まさに今のように。


「……なにを読んでるの」
「『楽しい量子力学』」
「それと今の話のどこに関連性があるんだい」
「別にないわよ」
 そこでようやく少女が顔をあげた。
「ただ男女の幼馴染において、子どもの頃の結婚の約束的エピソードは必要かと思って」
「欲しかったの?」
 それは、初耳だ。
 雲雀は手元のティーポットに視線を戻して、紅茶を注ぎながら聞いた。片方のカップに砂糖とミルクを入れて軽くかき混ぜると、自分の向かい側のテーブルの端に置いた。
 それと同時に少女の足がとん、と床に下りる。本をテーブルに置くと、代わりにカップを持ち上げた。
 は大きめのカップを両手で包むように持つと、揺れる水面にふう、と息を吹きかけた。

 ―――そんなに熱くないと思うけど。

 それを見ていた少年は思った。幼馴染の少女が猫舌なのもミルクティーを好んでいることも知っていて、紅茶を淹れているのだから。
 もちろん少女も、幼馴染の少年がそれを承知していることは わかっている。ただの条件反射なのだ。


「兄さんに聞かれたわ」
 少女の読んでいた本を何気なく めくっていた雲雀は、の言葉に顔を向けた。
 ソファではなくラグに座っているの視線は、こちらを向いてはいない。そこに話し難そうな様子は感じられず、いつもの癖だと思った。
 気心の知れた雲雀に対して、読んでいる本や やっていることから顔をあげずに話すのはの癖だ。
さんが?」
 雲雀もよく知る は、の年の離れた兄だ。二十歳を過ぎても妹離れのできない彼を見て、雲雀が「シスコンの人って、ほんとにいるんだね」と言ったのは最近のことだ。
「『恭弥とは最近どうだ?』って」
「なにが?」
「まるで、年頃の娘に一ヶ月ぶりに話しかけた父親みたいよね」
「……そうだね。それで、なんだったの?」
「恭弥は最近どう?」
「別に、特に変わったことなんて なかったと思うけど」
「だよね。私もそう言ったら」
 こくり、とミルクティーを一口飲む。つられて雲雀もカップに口をつけた。のミルクティーに合わせたから、ストレートで飲むには少し濃い。
「微妙な顔をされた」
 そう言っては、雲雀を見上げた。





、出かけるのか?」
 夜勤明けで帰宅した が玄関の扉を開けると、二階から降りてくる妹の姿があった。
 の姿を認めて表情を和らげたを見て、うちの妹はやっぱりかわいいなぁ、などと思う。
「兄さん、お帰りなさい」
「ただいま。どこに行くんだ? 送ってやるぞ」
「恭弥の家だけど……大丈夫よ。疲れてるでしょ?」
 またか、とは思った。
 ここ一か月ほど、の週末は雲雀 恭弥に独占されていた。
「いいよ、送っていく。マンションの方だろ?」
 が鞄から車の鍵を出して揺らすと、は嬉しそうに「ありがとう」と笑った。


 車中での話題は、の学校のことや 最近読んだ本について。その話が一区切りついた頃、唐突にが切り出したのだ。
、恭弥とは最近どうだ?」
 ―――と。


「別に――普通だと思うけど」
 事も無げに返された返事に、はなんとも形容し難い表情で妹を見やった。は「なんで?」という顔をしている。
「お前ら、中学生になっても べったりだなと思って。いくら仲のいい幼馴染でも、男と女じゃ友達付き合いとかも変わってくるだろ」
 すぐに正面に向き直った兄は、まだ微妙な顔をしている。
「だから、付き合ってんのかと思ってた」
「…………」
「…………」
「…………」
 無言の妹に気まずさを感じ ちらりと見ると、きょとんとした顔でを見ていた。
「でも、」
 やがて紡がれた一言は。
「私と恭弥は『友達』じゃないと思うけど」





「それで、友達でもない 付き合ってるわけでもない僕との関係を考えた結果が、幼馴染の結婚の約束云々なわけ?」
「違うわよ」
 呆れたように言う雲雀に、はさらりと否定の言葉を述べる。
 ふたりの関係など、考えるまでもなく そこに用意されている。今も昔も変わらずに、


「『幼馴染』でしょ」





「で、『結婚の約束』はいるの? いらないの?」
「くれるんなら、とりあえず貰うけど。別になくても変わらないわよね」
「そうだね」
 付き合ってることを否定しなかった妹に対して、あのシスコンの兄が微妙な気持ちのまま過ごしている様子を、雲雀は思い浮かべていた。

(『幼馴染みの恋物語』 Title by 恋したくなるお題)