アリスの森

 こつん、と窓に額をあてて外を見つめる幼馴染の少女。
 風にあおられた枝葉が、少女のいる隣の窓に叩きつけられて大きな音をたてた。
 雲雀が書類から顔も上げずに「危ないよ」と一言 言ったが、少女は「うん」と返したきり相変わらず窓辺にいる。
 先程から風のせいで窓が鳴っていて、それに交じるように雨の音。

 名を呼ばれても生返事で返す幼馴染に、雲雀がちいさく嘆息する。
 見ていても、何もおもしろいものなど ないだろうに。
 少女の見つめる先――窓の外では薄暗い空の下、窓に叩きつける激しい雨と風が吹き荒れていた。


 ようやく振り返った は、「まだ帰れそうもないわね」と無表情に呟いた。





「ねぇ、それ終わった?」
「まだだよ。おとなしくソファに座って、本でも読んでなよ」
「そういう気分じゃないもの」
 そう言うとは、また窓の外へと視線を戻してしまう。
 外の景色は相変わらずで、叩きつける雨に視界は悪く、見えるものといったら強風にあおられる中庭の樹木と、時折 飛ばされてくる枝葉くらい。
 こうしている今でも、のいる窓へ枝葉が叩きつけられて音をたてている。
「……窓、開けたりするなよ」
 この幼馴染なら やりかねない行為に雲雀が釘を刺す。
「開けないわよ。そんなことしたら、恭弥 怒るでしょ」
「当たり前だろ」
 片付けるのが面倒だと言えば、どうせ風紀委員にやらせるくせに、と返される。少女の言うとおりだ。
「今日は珍しいね」
 ずっと応接室にいて窓の外ばかり見ている幼馴染の少女に、ようやく雲雀が顔を上げた。
 元々明るいとか快活というような性格とは無縁である少女だが、突拍子もない常の言動から考えれば随分とおとなしい。
 であればこの嵐の中を散歩したり、人気のない薄暗い校舎内を徘徊したりしそうなものなのに。
「なにが?」
 窓に映る姿越しに雲雀を捉えて、はことり、と首を傾げた。
 そういう仕草だけ見れば とても愛らしいのに、とも思う。
って、その奇妙な言動のせいで、人生半分以上 損してるね」
「……たぶん褒められてないのよね」
「そんなことないよ。それより、今日は随分とおとなしいじゃないか」
「そう……かしら?」
 が右の耳朶に触れる。少女の癖だ。
 の見つめる窓に風がうねり、一際大きな音で窓を揺らした。
「危ないから、窓から離れてなよ」
 雲雀の言葉にため息をついて、少女はしぶしぶソファへと腰を下ろした。


「つまらない」
 ソファに座って尚も、窓の外を見つめる少女の呟きに。
 キィ、とちいさく椅子が鳴って。
 雲雀が、少女の肩に手をかけた。
 の視界が窓の景色から、幼馴染の少年と応接室の天井に切り替わる。
「―――終わったの?」
 雲雀はまだだよ、と笑った。
「つまらないんだろ?」
 右耳に触れたままの少女の手をとって自分の左手を絡める。
 羞恥からではない赤くなった耳を、ぺろりと舐めた。
「爪たてただろ。その癖 直しなよ」
「無意識にやってることだもの。ねぇ、それより――」
 どうせなら口にして、という少女の呟きにかかるように、雲雀はキスを落とした。





 腕の中の存在が身じろぎしたのを感じて、雲雀は目を覚ました。
 眠る前はあれほどに激しかった雨風は鳴りを潜め、今はわずかに橙色を残して藍色に染まろうとしていた。

 ―――今、何時だ?

 時計を確認したいが、珍しく甘えたように しがみつく腕の中の少女のせいで身動きがとれない。
 空の様子から19時前であろうと当たりをつけて、時計を見ることを諦めた。
 まもなく腕の中の少女も目を覚ましたようで、一度 雲雀のシャツを強く握りしめてから、そっと体を起こした。
「………外、」
 ぼんやりとするを見ながら、雲雀も体を起こす。
「ああ、止んでるね」
「つまらない。もっと荒れてれば よかったのに」
 寝起き独特のかすれた声では呟く。
 そういえば あの嵐の中においても、少女の然して大きくもない声は自分の元へ届いていたな、と雲雀は思った。
「あの天気じゃ帰れないだろ」
 呆れて言えば。
「濡れて帰ればいいじゃない」
 と、予想どおりの答え。
じゃあるまいし、僕はごめんだよ。それより、帰る支度して」
 帰り支度を始めた雲雀に対して、は未だソファに座って窓の外を見ている。
「つまらないわね。まるで世界から隔離されてるみたいで好きなのに」
 机に置かれたままの文庫本を、少女の鞄へ入れる。
「世界に自分ひとりだけみたいで……良かったのに」
 少女にブレザーを放り投げて、雲雀は呆れたように ため息をついた。
「僕がいるんだから、ひとりじゃないだろ」


「それもそうね。なら――」

まるで、世界に二人きり