遅れてきたバースディ
5月最後の土曜日。
雲雀は自宅の居間でソファに身を沈めて本を読んでいた。
その後ろの壁では幼馴染の少女が、カレンダーを見つめている。
先程までは出窓に張り付いて雨の降る様子を見上げていたのだが、なにか面白いものでも あっただろうか、と雲雀はページを繰りながら頭の片隅で考えた。
雨の降るそんな静かな土曜日。
「ねぇ、恭弥」
カレンダーを見ていた少女―― が振り返りもせずに呼ぶのを、ソファに座っていた雲雀も同じく振り返りもせずに「なに?」と尋ねた。
「誕生日おめでとうございました」
少女の言葉に、雲雀が怪訝な顔で背後をちらりと見る。
その視線に気付いたのか、も少年を振り返った。
未だ怪訝な表情の雲雀に、は瞬きをひとつして「今月、誕生日だったでしょ?」と言う。
「……今更?」
雲雀の言うとおり、彼の誕生日は今月の5日。疾うに過ぎている。
「だって、さっき気付いたのよ」
忘れていたのだ。しかし、忘れていたのは雲雀も同じ。
「……『おめでとうございました』って、おかしくない?」
「そうかしら? 過去形よ」
「普通、使わないよ」
「恭弥が『普通』とか言っても説得力ないわね」
「…………」
この少女に敵わないのは、わかりきっていたこと。
「まぁ、恭弥の言うとおり今更だけど、折角 思い出したんだから祝ってあげる」
「微妙に上から目線だよね」
雲雀はため息をついて、読みかけの本のページを繰った。
「苺のケーキと 胡桃のチョコケーキ、どっちがいい?」
5月のカレンダーをぴりり、と破きながら少女が問いかける。
まだ5月は終わってないのに、と雲雀は思う。(思っただけだ。そもそも、このカレンダーは少女が勝手に掛けていったものだ)
「まさか、ケーキを焼くんじゃないだろうね?」
「ケーキなしで、どうやって誕生日を祝うのよ」
さも当然とばかりに返す少女に、雲雀は眉を寄せた。
少女が菓子を焼くたびに、雲雀の部屋は甘ったるい匂いで充満する。
「ケーキなんか いらないよ」
「私は食べたいもの」
雲雀の意見も軽くスルー。
この雲雀 恭弥に、並盛の最凶風紀委員長に、こんな扱いをするのは目の前の幼馴染くらいだ。
はぁ、と大きな ため息をついた。
「ケーキ奢るから、それで我慢しなよ」
「今日じゃなきゃ駄目よ」
ソファの背もたれに両手をついて、雲雀の背後からが覗き込む。
視界の端に少女の黒髪が、さらりと揺れるのが見える。
「わかってるよ」
「なら、今から出て早めのランチをして、映画を観に行きましょ。その後ケーキね」
「ちょっと、僕は映画館なんてゴメンだよ。あんな草食動物が群れてばかりの場所」
「大丈夫よ、映画館は暗いから。映画に集中してれば、有象無象の存在など気にもならないわ」
そんなことを言っても、映画館に行くまでに群れてる奴らがいるし、いくら暗くたって気配は消せない。
そういう問題じゃないだろ、と呆れて言うも、今回ばかりは少女も譲らないつもりらしい。
「だったら、」
「他の人間なんて見てないで、私だけを見てなさいよ」
見慣れた綺麗な顔。微かに香るシャンプーの香り。凛とした声に少しの甘さを交えて、がそう言った。
なのに何故だろう。甘さに酔えないのは。
「……そういう台詞は上から目線じゃなくて、もっと可愛く甘えて言うものじゃないの」
雲雀の指摘に少女は一瞬きょとんとして、「なら、言い直そうか?」と聞いてきた。
「いいよ、もう。ほら、早く準備しなよ」
盛大なため息と一緒に閉じられた本を見て、が嬉しそうに笑った。
「先週 買ったワンピースと傘にしよっと」
わざわざ着替えにいった少女の背を見送って。
今の笑顔は悪くないな、と雲雀は思った。
「ところで、今日は僕の誕生日祝いなんだよね?」
ランチ、映画館に引き続き、ケーキ屋でも財布を取り出しながら雲雀が聞くと。
「夕食はハンバーグを作ってあげる。ソースは恭弥が選んでいいわよ」
レジ横に置かれた白兎のディスプレイを見ていたが、くすくすと笑ってそう言った。