tubu*tubu cherry
白一色で統一された病室にフルーツナイフが規則的に実と皮を分け剥いていく音がしょりしょりと心地良く響いている。
日番谷はぼんやりと自分の無骨な両手が器用に林檎とナイフを操っている様子を見つめ、ふとその手を止めた。
「たい、ちょ…」
彼が動きを止めるのを待っていたように、微かな声が無機質なベッドの中から聞こえる。
は自分の視界が歪んでいるのに少し戸惑いながらも、目が覚めて真っ先に感じた霊圧が日番谷のものであったことに心底安心した。
「身体中が、痛い、です」
「当然だ。死んでねぇだけありがたかったと思え」
途切れ途切れに、自分が言葉を発していることを確かめながら白い天井に向かって話しかけると彼の憮然とした溜息が返ってきた。
再び再開されたしょりしょりと規則的な音に、彼女はくすりと微笑んだ。なんだか重症患者にでもなったみたいだ。
実際に彼女の負った傷は重傷と呼ぶに相応しいものであるのだが、こうしてしっかりした意識の元にあるとそんな風には感じないから不思議だ。
の能天気ともとれる笑顔を一瞥した日番谷は剥き終わった林檎を等分に切り分け、ひとつひとつ芯を取っていく。
「林檎、好きです」
はぎしりと悲鳴をあげる身体を叱咤しながら、どうにか首だけを枕元の椅子に腰掛ける日番谷へと巡らす。
小さなサイドテーブルに置かれた皿に、剥かれた赤く艶やかな林檎の皮が重なっている。その几帳面に均一な様子に“日番谷隊長らしいな”と、再びくすりと鼻笑みをこぼす。
日番谷は布団からちらりと覗いた彼女の首筋に巻かれた包帯の薄気味悪い程の白さから目を逸らすように瞼を伏せると、「松本からだ」と簡潔に告げる。
「乱菊さん、ですか」
「今回の件は松本の不注意も大いに関係ある。合わせる顔がねぇとか、結構塞いでたぞ」
かたりとフルーツナイフを置くと、八等分した林檎をひとつ摘まんでの口元へ寄せる。
しかし彼女の意識は今し方の日番谷の言葉へと注がれていて、目の前の瑞々しい果実にまで気がまわらない。
「そんな、単に私が弱いだけ、なのに」
「それは言うまでもない事だ」
彼女の心許無い物言いをばっさりと切り捨てた日番谷は、の口元へと差し出した林檎を自らの口へと運ぶ。
かしょ、と軽快な音がして林檎の甘い香りが室内に満ちる。
は無言で林檎を咀嚼する日番谷を見つめ、少し不機嫌に眉根を寄せる。
「ひとりで食べると、美味しい、ですか」
日番谷は彼女にしては珍しい、拗ねたような表情をひとしきり眺めてから微かに口角を上げて笑った。
「普通」
言いながら椅子から立ち上がると、汗で少し湿った彼女の前髪を梳き混ぜるように乱暴に撫でた。が何か言う前に「残りは後で食べろ」と言い置き、足早に病室を後にする。
ぱたりと控えめに閉じられた扉の音を機会に、はゆっくりと瞼を閉じた。
彼が触れた前髪に林檎の甘酸っぱい移り香が満ちて
このまま眠りに落ちたら良い夢が見られそうな気がしている。
林檎の魅惑的な眠り
(20080218 / copyright coma / title from ontology)
tubu*tubu cherry
担任である越智から「を探して来い」と言われた時から、一護の向かうべき場所は決まっていた。
もうすぐ昼時となる空座高校の廊下は、それぞれお決まりの場所で昼食をとるために移動を開始する生徒たちであふれていた。
その人波を避けるように道を選びながら、彼は一心に目的地へと歩を進める。時折見知った顔が声をかけてきて、一護は軽く手を上げてそれに応えた。
「失礼します。いますか」
がらりと音をたてて保健室の戸を引くと、薬箱を開けた時のような独特の香りが溢れて一護は“病院の匂いと違うのは何でなんだろうな”などとひとり思う。
一瞬ぼんやりとした思考を現実へと引き戻すと、しんとした室内に保健教諭の姿はなかった。
少し躊躇した後、おもむろに室内へと足を踏み入れる。開け放たれた窓から吹き込む涼やかな風が薄いレース生地のカーテンをはためかせている。
その涼風に少しだけ目を細め、ぐるりと見渡すとひとつだけカーテンの引かれたベッドへと歩み寄り控えめに声をかけた。
「おい、。越智サンが呼んでる」
「…………」
厚みのあるカーテン越しにごそりと身動きをする音が聞こえるのに、返答はない。相も変わらない彼女の態度に、一護は小さく溜息をこぼす。
ゆっくりとカーテンの繋ぎ目へと手をかけると最終通告とばかりに、少し声を張る。
「、開けるぞ」
どうせ返答はないと分かっているので、今度は待たずにカーテンを引き開ける。
案の定、少し寝乱れたの身体が投げ出されるように横たわっていて一護は再び溜息を吐く。制服のスカートからむき出しになった彼女の生白い太股に目がいかないよう、少し瞼を伏せた。
皺の寄ったブラウスの透ける肩口が規則的に上下する様子をちらりと見遣るとベッドへ近づき、手近なクリーム色の壁へと身をもたせかける。
「……寝たふりすんな」
ぽつりと無表情な彼女の寝顔へと呟きを落とすと、諦めたようにゆっくりと瞼が開かれた。
の揺れる睫毛の長さに、潤む目尻の鮮少さに、一護はちくりとした戸惑いを感じて言葉に詰まる。
「一護」
「……おう」
は気だるげに彼を一瞥すると弱々しく笑った。その憔悴したような微笑に、一護が何か言おうと口を開きかけたのを知ってか知らずか、緩慢な動作で彼の腕へと手を伸ばす。
「一護も一緒に寝ようよ」
細く絡んだ彼女の指があまりにも冷たくて、一護は困ったように眉を顰めた。その表情のままを見下ろすと「ね?」と言わんばかりに見上げてくる瞳と目が合い、気まずげに瞼を閉じる。
「越智サンが呼んでるっつっただろ」
それを言い訳にするのは彼女から逃げているようで釈然としないのだが、かと言ってそれ以上に正当な理由が見つからないのも確かだ。
一護の突き放すような響きを帯びた言葉に、は彼の腕へと絡めていた指をほどいた。ぱたりと力なくシーツの上へ腕を投げ出すと、吐き捨てるように言い放つ。
「越智サンも学校も嫌い」
一護は予測していたにも関わらず、彼女の切り捨てるような辛辣な物言いに思わず目を瞠った。同時に以前から気になっていた疑問が首をもたげる。
何の感情も浮かばない彼女の色素の薄い瞳をみつめると、探るように先ほどの疑問を唇に乗せた。
「じゃあ何で学校に来るんだ」
は少しの間ぼんやりと考えているようだったが、仰向けていた身体を横にすると今し方触れていた一護の指先の関節の陰影を見つめて微笑む。
「一護がいるからだよ」
今日初めて見た彼女の満たされた微笑みに、一護の口角も自然に緩んだ。
きみの側で眠る痛み
(20080218 / copyright coma / title from ontology)
tubu*tubu cherry
「お相手は四大貴族に名を連ねる名家の次期当主となられる方だよ」
呼び出された祖母の部屋でその台詞を聞いた時点で、嫌な予感がした。
老いてもなお、その存在感と発言力を衰えさせる事のない、家の前当主である祖母が艶やかな微笑みと共に続けた台詞で、予感が確信に変わった。
「霊術院に通われているそうだから、お前も知ってるんじゃないかい?」
正直に言おう。 にとって“朽木白哉”は苦手の部類に入る人だった。
どんなに難しい課題や術式であっても平然とこなして見せるくせに、それを鼻にかけている感じがない事だとか、他人にまるで関心がないくせに、その実 なかなかの熱血漢だったりする事だとか。
ふと視線が合うと 伏し目がちに、それでいてまるで歯牙にもかけない様子で逸らす事だとか。
だから、彼の将来の許嫁として自分の名前があがったと告げられても、これっぽっちも嬉しくなかった。
当人であるは これを機に家の名を上げようと、嬉々として浮き足立つ家人達の様子を まるで他人事のように見つめているだけだ。
苦手の部類に入る人なのにも関わらず、彼女自ら声をかけてしまったのは“四大貴族の次期当主となられる”彼が 居るはずのない場所に居たからだった。
見るからに薄汚く、ところどころ継ぎ当てのある着物を着た者達が行き交う流魂街で、白哉の姿は明らかに一人、浮いていた。
「朽木、君」
僅かにつっかえながら、あまりにも風景に馴染まない後姿に声をかける。
ゆっくりと振り返った彼もやはり がこんな場所に居ることに驚いたようで、静かに目を瞠った。
「…、」
「珍しいね、朽木君がこんなとこに来るなんて」
愛想笑いを浮かべながら言うと、彼は常と変わらずに 伏し目がちに視線を逸らせながら「それはお前も同じだろう」と、素っ気無く答えた。
許婚の話はもちろん彼の耳にも入っているだろうに、その態度は普段と何ら変わらない。
“やっぱり 話しかけるんじゃなかった”
は脳裏で語散りつつ、引きつりそうになる頬の筋肉を辛うじて笑顔のかたちに留める。
「全然同じじゃないって。私は別に平気だけど、四大貴族様がお供も連れないで治安の悪い流魂街なんかに出てきたら大ごとだよ?」
少しばかりトゲを込めて言ってみたが、伏せられた彼の長い睫毛はぴくりとも動かない。
しばらくの沈黙の後、彼女へと一瞥をくれながら「そうか」と 無感情に相槌をうった。
とてもではないが 仮にも許婚同士のものとは思えない会話の内容には憮然としたが、だからと言って睦まじい会話をしたい訳でもないので、
「そうだよ」
と 答えて、同じように伏し目がちに彼から目を逸らした。そのの表情に もう笑顔はない。
これ以上話していても不毛なだけなので、早々に別れを告げようと口を開きかけたの語頭に重ねるように、白哉が口を開いた。
「お前は此処で何をしている?」
「私?…私は友達に会いに来たんだけど…」
彼がまだ会話を続ける気があった事に少なからず戸惑いながら答え、ちらり と斜め上にある整った横顔を見る。
興味を引いたのか、それまで伏せていた瞼が開き 交わった視線が言外に先を促してきた。
「藤原さんって分かる?歩法が上手な子」
「…ああ、」
「彼女がね、体調崩してずっと休んでたからお見舞い。 家がこの辺なんだって」
が示した級友の名前がすぐに思い当たった様子の彼の態度に感心しながら続ける。
他人に全くと言って良いほど関心がないように見えて、ちゃんと把握している辺り、さすが優等生である。
「朽木君は?」
別に物凄く気になるわけではないのだが、ここで何も聞かないのも失礼かと思って尋ねてみると、彼は再び瞼を伏せた。
先ほどのそれと違い、そっと 緩やかに視線が逸らされる。
「お前とそう変わらぬ」
途端に柔らかくなった彼の周りの雰囲気に 言いようのない不安を感じながら「…友達に会いに来たの?」と、聞くともなしに聞いた。
本音を言えば、これ以上 この話題を続けたくない気がしている。何となく。
彼女のそんな意図など知らない白哉は目礼で頷きながら
「貴族屋敷に奉公しながら、行方の分からぬ妹を探していると聞いた」
そう言って、ゆっくり ゆっくり、口角を上げた。
「へぇ、」と 曖昧に相槌をうちながら、その妹を探しているという友達が 決して単なる“友達”でない事が分かった。
だって 普段から他人の事など歯牙にもかけない彼の表情が、こんなにも穏やかだ。
「朽木君にも友達が居るんだね」
彼にとっては、それこそ痛くも痒くもないであろう 憎まれ口をたたきながら、一族総出で喜んでいる家の人たちには気の毒だが、この縁談は流れるだろうな と、ぼんやり思う。
ほんの少しだけ、胸が詰まった。
彼女が君の名前を呼ぶまでのあいだ
( 20090101 | coma | a happy new year )
tubu*tubu cherry
「吉良君、」
「…………うん?」
かさかさと強張った声で呼ばれ、吉良は視線を落としていた本から顔を上げた。
実を言えば呼ばれる前から手元の本に集中する振りをして、ずっと彼女にだけ神経を注いでいたのだが、そんな素振りは少しも見せない。
ゆっくりと布団に横になったを見遣り「なんだい?」と、尋ねた。
「さっきからずっと何読んでるの?」
「過去の『隊首会 議題目録』。暇潰しになるよ」
布団から熱で火照った顔と瞳を覗かせてくる彼女に見えるように手元の書籍を掲げて見せると、嫌そうに眉根を寄せた。
「吉良君は暇じゃなくても勉強ばっかりしてる」
嫌そうな表情のまま布団に隠した鼻から下で もごもご と文句を言う。
彼は微かに口角を上げて見せながら 空いた方の手を彼女の額に手を伸ばした。
ひたりと掌を乗せると、その言いようのない冷たさには「…ん、」と 密かに喘いだ。
「まだ熱いね。やっぱり冷やそうか?」
「ううん、いい。どうせ寝返り打ったら落ちちゃうもん」
言外に絞った手ぬぐいか氷嚢を用意しようかという吉良の申し出を彼女は薄く首を振って断った。
布団の中ですら大人しくしている事が苦手なの変わらない様子に くすり と呆れた鼻笑みを零し、柔らかい前髪をゆっくりと梳く。
日々の温度差が定まらない季節の変わり目に彼女が風邪をひくのは、既に決まり事のようなものだった。
あまり丈夫でないくせに、やけに活発で外に出たがりなところも 昔から変わらない。
吉良にしてみれば、せめて自分の目の届く範囲では大人しくしていて欲しいのだが、少し席を外しただけで「紅葉が終わっちゃうよ」などと言って出かけようとするのだから手が焼ける。
そんな風だから休日の今日も、こうして側で話し相手をしたりしている。
彼の細い指が撫で梳く感触に は再び小さく喘いだ。
熱が出ている時独特の潤んだ瞳で吉良を見つめ、ふにゃりと笑ってみせる。
「手、冷たくて気持ちいい…」
言いながら緩慢に寝返りを打った。
被っていた布団がずれて、露わになった彼女の鎖骨の細い筋を一瞥しながら「そう」と、相槌を返す。
熱に浮かされた素肌は柔く、不健康なほどに 白い。
「……確かに隊長達の過去の発言ばかり読んでいても退屈かな、」
何となく無機質に咽喉の裏側で言い、『隊首会 議題目録』に栞代わりに挟んでいた指を抜き、畳へ置く。
梳いていた髪筋から手を離し 額同様、なよやかに火照った彼女の身体を覆い、そっと体重をかけた。
静かに押さえつけてくる吉良の腕の拘束にはほんの少しだけ身を捩って抵抗の意を示して来たが、敢えて知らない振りをする。
どのみち、自分も彼女も 暇を持て余していたところだ。
「吉良君…?」
きょとんとした顔で呼んでくるの声を横目にして
“たくさん汗をかいて、水分を摂れば直きに好くなるよ”などと、見え透いた言い訳を考えていたりする。
(20081105 / presented by coma / gift to 真世 裕)