秋っぽく
日番谷
ぱさ、と布の触れ合う音がした。
微かな、本当に微かな――音ともいえないようなものであった。
それでも、日番谷の意識を浮上させた理由はただひとつ。
その音が、隣の布団で眠っているはずの少女が発したものだったから。
「……どうした?」
暗闇の中で問いかけると、幼馴染の少女からは「……うん」という曖昧な声が返ってきた。
その声の位置から推察するに、どうやら少女は 布団の上に体を起こしているようだ。
左肘をついて日番谷も身を起こす。
「眠れないのか?」
「ごめんなさい」
少女の謝罪は、日番谷の眠りを妨げたことに対してなのだろう。
日番谷が「構わない」と答えると、少女がほぅ、と息をついた。
少しだけ夜目に慣れてきた目で少女を窺う。
表情は読み取れないが、なにやら耳を澄ませていることがわかった。
日番谷も周囲の気配を探ってみるが、人の気配も不穏な様子も感じない。
しかし、探査能力の高い少女のことだ。日番谷にはわからない気配を感じているのか。それとも、夢見が悪かったのか。
日番谷が灯りを点そうか悩んでいると、「冬獅郎」とちいさく名を呼ばれた。
「なんだ?」
闇の中で手を伸ばすと、少女の華奢な指が日番谷の指先に触れた。
そのまま指先を絡めるように引き寄せれば、柔らかい香と共に少女との距離が近くなる。
いっそのこと、近くにいる少女の体を抱きしめてしまいたいが、絡めた指を離して貰えそうもないので諦めた。
日番谷よりも低い体温が、少年の指先に絡んだり手の甲を辿ったりする。時折、爪を立てられることもあり、先日はその加減を誤った少女に薄紅の筋をつけられ、松本や雛森に見咎められるということもあった。
最近の少女の気に入りとなったこの行為を、少女の好きにさせておく。
その傍らで少女の眠りを妨げた理由を考えるが、皆目 見当がつかなかった。
「眠れないのか?」
結局、先程と同じ問いを口にしただけ。
すると少女は顔を上げて、一瞬 桜色の瞳で日番谷を見つめてから、こっくりと頷いた。
それまで触れていた少女の指先が離れ、日番谷の胸元に添えられる。
言葉の足りない少女の思惑に、日番谷は深くため息をついた。少しだけ……自分の迂闊さに呆れて。
「こっちに来ていいから、もう寝ろ」
自分が甘いのなんて、百も承知だ。
なかなか寝付かない少女の黒髪を撫でながら、ふと気付いた。
夏も終わり残暑はあるが、蝉の声も以前ほど聞こえなくなった。
それに変わって聞こえるようになったのが、鈴虫や松虫、馬追の声。
日番谷は、幼馴染の少女の趣味と 抜け目のなさを忘れていた。
「……虫の声……」
日番谷の苦い呟きが耳に届いたようで、少女がくすくすと笑う。
背中に回された腕に、今更 自分の布団に戻れなどと言うつもりはないが。
今宵二度目のため息が落ちるのは、どうしようもなかった。
イギリス
「―――― and how she would feel with all their simple sorrows, and find a pleasure in all their simple joys, remembering her own child-life, and the happy summer days.」
淀みなく語られていた物語が終わり、パタン、と書物が閉じられる。
先程まで柔らかな声音で物語を読み上げていたイギリスが、大きく息を吐き出した。
そのため息に、ベッドの上で瞑目していた少女がアメジストに似た双眸を開く。
「……アーサー」
いつもより掠れた声なのは寝起きだからではなく、少女が風邪をひいているからだ。
昨夜から熱を出して寝込んでいる英国の薔薇姫は、ベッドサイドの椅子に腰掛けているイギリスを見上げた。
「もう1冊 読んで?」
「……もう勘弁してくれ」
本日 何度目になるかわからない ため息をつくと、イギリスはサイドテーブルに読み終わったばかりの本を置いた。
「朝から どれだけの本を読ませる気だ」
「まだ2冊よ」
「これだけ読めば充分だろ」
どちらの書物も、1冊の厚さは それなりにある。
呆れたように そう言って、イギリスはティーカップを手に取った。
紅茶はすっかり冷めている。おそらくはティーポットの中も同様だろう。
イギリスは眉を顰めたが、優雅な仕草で紅茶を飲み干した。わざわざ淹れ直すのも面倒だと思ったのだ。
「……つまんない」
はぁ、と少女も息を吐く。熱のせいで呼吸をするのも重苦しい。
その様子を見て、イギリスはベッドへと近付くと、少女の額に乗せられたタオルを氷水へと浸した。
「大丈夫か?」
汗で張り付いた前髪を払うイギリスの指に、少女は目を閉じる。
自分がどれだけ わがままを言っているのかは承知していた。
彼が――イギリスが多忙だということは よく知っているのに、熱を出した自分を心配する彼の優しさにつけいって、朝からずっとその時間を独占していた。
自分の わがままぶりに無意識に眉間を寄せた少女に、イギリスは「どこか痛いのか?」と心配そうな声で問う。
それに対して緩く首を振って否定していると、扉がノックされ、まもなくフランスが顔を覗かせた。
「お姫様の御加減はいかがかな?」
手には少女のためのポリッジとフルーツ。
「メシ食えるか? 食欲なくても、少しくらい胃に入れた方がいいぜ」
「食べる」
素直に頷いた少女に「えらいえらい」と笑って、フランスは先程までイギリスが座っていた椅子に腰掛けた。
「イギリス、なんか書類 届いてたぜ。見ててやるからメシ食って、ついでに少し仕事してこいよ」
「ああ。――食べたら、きちんと薬を飲むんだぞ」
イギリスの言葉は、前半はフランスに、後半はアメジストの瞳の少女に。
相変わらず過保護だな、と揶揄いながら、フランスはサイドテーブルに置かれた本を1冊手に取った。
少女は昔から熱を出して寝込むと、イギリスに寝物語を強請る。
今日も今日とて、翠の瞳の青年に本を読ませ続けているのだろう。フランスはその姿を容易く想像できた。
「食べ終わったら、今度はフランス兄さんが本を読んでやろうか」
少女の返答はわかっていたが、フランスは聞いてみた。
それに対する少女の返答は。
「アーサーの声で読んでもらうのが好きなの」
予想どおりのものだった。
「……すぐに戻ってくるから、待ってろ」
扉を開けたイギリスが。
ちらりと振り返ると そう言って、ぱたんと扉を閉ざして退室していった。
「相変わらず、愛されてるじゃん」
「当然よ」
何を今更、と少女はフランスに笑ってみせた。