「アメリカ、元気だったか?」
よく晴れた昼下がり、海の向こうに住まう彼が遊びに来てくれた。
その隣にはまだ幼さの残る、でもとびっきりの美少女。
彼が入れてくれるミルクティーのような柔らかい髪色に、じっとアメリカを見つめるアメジストのような瞳。
「ほら、彼女が。前に来た時に話しただろ?」
自慢げに話す彼の袖を握ったままの少女は、ひたすらにアメリカを見つめていた。
―――今思えば、値踏みされてたんだろうな。
目の前で子猫と遊んでいる少女を眺めながら、アメリカは初めて彼女に会った時のことを思い出していた。
イギリスが睡眠時間を削ってアメリカの様子を見に来てくれていたあの頃。
彼の祖国にも、イギリスにとって妹のような存在がいるのだと聞かされた。
滞在する間、飽きる事無くその少女の話を強請るアメリカに笑って、「次に来る時には連れてきてやるよ」とイギリスは言ったのだ。
「、こいつがアメリカだ。仲良くしてやってくれ」
イギリスの言葉にも少女は是でも否でもなく、じっとアメリカを見つめ続けていた。
自分の存在をようやく自覚してきて、周囲の環境にも慣れてきたアメリカだったが、にこりともせずに見つめる年上の少女には珍しく緊張と戸惑いを感じていた。
なまじ少女が人外めいた美しい容姿をしているものだから、幼いアメリカはどうしていいかわからずに、結局のところ泣き出してしまい。
そうして、空の青を閉じ込めたような瞳に涙を浮かべた時に初めて、イギリスの袖を握っていた少女がアメリカの前に膝をついたのだ。
白いワンピースドレスが汚れるのも構わずに膝をついたが、どんな表情をしていたのかは覚えていない。しかし頭を撫でる優しい手だけは記憶に残っている。
あの時のは、他の皆がいつも言うような「泣かないで」という言葉を一切言わなかった。
アメリカ、と高く柔らかい声で名を呼んでくれる。
幼いアメリカが泣き止むまで、ただ優しく頭を撫でてくれていた。
「お姉ちゃん」
アメリカの唐突な呼びかけに、子猫を見ていた紫の瞳が顔を上げる。
アメリカが彼女のことをそう呼んでいたのは、彼がまだイギリスの庇護下にあった頃だ。それも一時期だけ。アメリカの背がと並ぶ頃には、彼女のことはすでに名前で呼んでいたはずだ。
随分と懐かしい呼びかけに、元弟の真意を探るようにはアメリカを見つめていたが、膝に乗せていた子猫がちいさく鳴いたのをきっかけに、ふいっとその視線を逃した。
「仕事、終わったの?」
「いや……もう少し」
「まだ終わらないんですって。部屋に閉じ籠ってるのも飽きちゃったわよねー」
が膝上の子猫に話しかける。子猫がまるで答えるように、にゃぁと鳴いた。
怒らせたかな?――アメリカは窺うように少女を見る。過去の話題に触れることに対して、がイギリス以上に敏感なのは承知していたのに。
幼い頃に誰よりも惜しみない愛を注いでくれていたのは、間違いなくイギリスとだった。
イギリスが自分の意見に聞く耳を持たない、と。
いつまでも子ども扱いをされている、と。
あの時はそれが我慢ならず、独立するのが当然なのだと思っていた。
英国の仕打ちに腹を立てる反面、国としてひとり立ちすれば自分の存在を認めてもらえると、その時のアメリカは疑いもしなかった。
国としていつかは通る道だったのだと、いつだったかイギリスは酔った勢いでそう零した。今ではイギリスも恨み言を言いつつも、独立記念日には顔を見せてくれる。
ただ――だけは、未だに祝ってくれた事がなかった。
今もまだ、この少女には許されていないのだ。
次の会議で使う書類のデータを保存してPCの電源を落とすと、アメリカは大きく伸びをした。これさえ終われば、とりあえずはいいだろう。
真っ暗になったPCのディスプレイ越しにを窺うと、子猫は彼女の膝の上で丸くなっていて、少女は窓の外を眺めていた。
不機嫌な様子ではない。しかし、にこりともしないその表情は、アメリカの苦手なものだった。がなにを思っているのか、皆目見当がつかないから。
先程の事もあるのでなんとなくバツの悪い思いを抱きながら、アメリカは「」と控えめに少女の名前を呼んだ。
「怒ってるかい?」
そう尋ねてみれば。
「誰かさんが駄々をこねるから遊びに来てあげたのに、二時間もほったらかしにされたことを?」
未だアメジストの瞳は窓の外へ向けたまま、は平坦な声で返した。
少しだけ、アメリカは安堵する。先程の失言はなかったことにしてくれたらしい。
本当に、何故あんな事を口に出してしまったのか。別に自分は彼女の弟でいたいわけではないというのに。
すりかえられた話題は彼女が譲歩してくれた証だ。「情けないな」と心中で笑って、アメリカは別の謝罪を口にした。
「それは悪かったと思ってるよ」
「―――天気、いいわね」
その言葉に、彼女の住まう国は曇り空が標準装備だと思い出す。
「よし」
デスクから勢いよく立ち上がると、いつものフライトジャケットを羽織る。
きょとんとするの膝から子猫を取り上げると、彼女の白い手を引いて立ち上がらせた。
「公園の近くに新しくカフェができたんだぞ。そこでランチの後、公園を散歩してストリートの方に行ってみよう」
「その子、置いてくの?」
子猫をケージに入れると、が残念そうに言う。
「デートには邪魔なんだぞ」
それにこの猫は、イギリスが彼女に贈ってやった猫だ。
「猫にやきもち?」
呆れて笑う少女を追い立てて玄関のドアを閉めた。
ようやく彼女らしさが戻ってきたようだ。
「そんなんじゃないぞ」
「はいはい。困った子ね」
「子ども扱いはやめてくれよ」
むっとするアメリカに、は笑ったまま手を差し出した。
「アルフレッド」
昔のようにアメリカの本当の名を呼んでくれることは、もうなくなってしまったのだけれど。
かつて姉のように慕っていた少女は、今でも変わらずに自分に手を差し伸べてくれる。
―――俺が望む関係とは少し違うけどね。でも、こんな関係でも縋りつきたい、だなんて情けないな。
いろいろ渦巻く感情を飲み込んで、アメリカはその大きな手での白い手を包み込んだ。
(『散文御題』 Title by 黎明アリア)