リンゴーン。
クラシカルなドアベルの音。次いで、重厚な玄関の開けられる音となにやら騒ぐ声。
ぼんやりと聞き流しながら、少女は手元の作業に没頭していた。
珍しく天気の良い、穏やかな午後だった。
最後の一針を刺したところで、テラスの方から話し声――というか怒鳴り声が聞こえてきて、は針を引き抜きながらわずかに顔を上げる。
「うちは花屋じゃねーんだからな!」
「わかってるって」
そんな話し声と共に現れたのは、この屋敷の主であるイギリスと隣国の青年・フランス。
二人が喧嘩腰なのはいつもの事なので とりたてて驚くことも慌てることもなく、は手元の糸をぱちり、と切った。
新しく手に入れたワインカラーの刺繍糸は、綺麗なクラレットで少女は気に入っていた。その刺繍糸で刺した花弁の出来栄えに満足していると、テラスに面したガラス戸が開かれる。
「よぉ、元気だったか?」
人好きのする笑みを浮かべたフランスの挨拶に、少女はソファに腰掛けたまま同じように微笑んだ。
「いらっしゃい、フランシス」
「ところで、」
穏やかな午後を邪魔されたことにイギリスが不機嫌に眉を寄せているのを横目に、は小さく首を傾げた。
「その薔薇はどうしたの?」
フランスの左腕に抱えられている薔薇。白い花弁を有するその薔薇は、イギリスの薔薇なのだろう。
彼の育てる薔薇はこの世界で一番美しい、少女にとって自慢の薔薇だ。
「ん? これか?」
フランスは芝居がかった所作での足元に跪くとその薔薇を差し出し、やはり芝居がかった口調でこう言った。
「お姫様へ俺からの愛の証だ」
そして艶やかに笑う。
相も変わらず こういう事が様になるなぁ、とは感心する。
フランスの背後ではイギリスが眉を寄せたまま。
「その薔薇は俺の育てた薔薇だろ」
「だって、俺の知ってる中で一番綺麗な薔薇っていうと坊ちゃんの薔薇だし。に一番喜んでもらえる贈り物を選ぶのは当然だろ」
どうぞお姫様、と改めて差し出された薔薇を受け取り、は紫水晶の瞳を細める。
薔薇を贈られた事よりも、イギリスの薔薇が一番だと言われた事の方が実は嬉しい。その点も承知でフランスは口にしたのだろう。
「ありがとう、フランシス。でも、どうして?」
彼からの贈り物は珍しくないが、薔薇を贈られたのは久し振りだ。
「日本に教えてもらったんだけど、今日は『ダズンローズデー』なんだってさ」
「ダズンローズデー?」
「そ。12月12日に愛情の証に12本の薔薇を恋人に贈る日、だったかな」
ふぅん、とは相槌を打って薔薇を眺めた。
あの国にそんな習慣があるとは少し意外だった。
「でもこの薔薇、11本しかないわね」
この手の事でフランスがこんな単純ミスをするわけがない。いったい、どんな楽しみを用意しているのか。期待に満ちた紫水晶の瞳に応えて、フランスがその掌に収まるくらいの箱を取り出した。
「お姫様のお気に召すといいんだが」
の掌に乗せられた箱。
白いリボンを解くと、中から現われたのは精巧に摸された白い花弁の薔薇のチョコレートだった。
「す……ごい、綺麗だわ」
本物と見紛うばかりの出来栄えに、だけでなくイギリスさえも言葉を失っていた。
「お気に召していただけたかな、姫君?」
フランスの魅惑的な笑みに、はふわりと笑ってみせる。
「ええ、とっても」
がすぃ、と差し出した右手を取って、フランスはその甲に柔らかく接吻けを落とした。
「つーか、勝手に恋人とか言ってんじゃねーよ」
がつん、と鈍い音をさせてイギリスの拳がフランスの頭に飛んだ。
「いってーな、おい。お前ねぇ、もうちょっと空気読めよ」
「うっせー。そこまで許してやっただけでも感謝しろ、このワイン野郎」
他にも何か持ってきてるんだろ、紅茶淹れてやるからさっさと準備しろ。――そう言ってキッチンへと向かう後ろ姿に文句を言いつつ、フランスも立ち上がる。
「ありがとう、フランシス」
その腕に抱く薔薇も霞むほどの笑みでもう一度礼を言えば、フランスも「どういたしまして」と柔らかく笑った。
(『御題ノ欠片』 Title by 黎明アリア)