カークランド邸の朝は、アーリーモーニングティーで始まる。
今朝の紅茶は薔薇が仄かに香るディンブラ。
寝室の扉を開ければ、お姫様はまだ夢の世界だ。
まずはカーテンを全開にしないよう注意して、重たい布地だけを引く。レースのカーテン越しに朝のやわらかな陽射しが入るのを確認してから、ようやくイギリスはベッドの端に腰掛けて、眠り込む少女に目覚めを促した。
「マイ・ディア、そろそろ夢から覚める時間じゃないか?」
布団の端からわずかに覗く金の髪を撫でる。二度三度 髪をすいてやると、ちいさく唸り声をあげた少女がのろのろと体を起こした。
「おはよう、」
体を起こしたまま、ぼんやりと枕を見つめていたが、イギリスの声に誘われてそちらを向く。
未だ眠たげな瞳にイギリスは表情を緩め、のこめかみにひとつキスを落とした。
本当は少女の唇にもしたいが、寝起きにそれをすると6割の確率でお姫様の機嫌を損ねてしまうので我慢する。
「Good morning,my dear」
「……morning,Arthur」
寝起き特有の掠れた声と表情の乏しい様子で、が挨拶を返した。寝起きがあまりよろしくないにしては反応が早い。
お姫様の今朝のご機嫌はまずまずのようだ。
イギリスはもう一度ミルクティーのような柔らかい金の髪を撫でて、ベッドサイドから立ち上がった。
「ミルクは?」
「……ディンブラ?」
「あぁ」
「じゃあ、少なめ」
「了解。――ほら、火傷するなよ」
白磁のティーポットから注がれた紅茶はまだ熱い。
寝起きの少女が取り落としたりしないよう注意して渡すと、はふぅ、と細い息を吹きかけながら、まだ少しぼんやりとした様子でカップの紅茶を見つめた。
小さく息を吹きかけるたび香色の水面が揺れ、そこから薔薇に似た仄かな香気が立ちのぼる。
その香りにの目元が緩んだのを眺めながら、イギリスは自分のカップへと口をつけた。
できることなら彼女を喜ばせる事は、すべてイギリス自身の手で叶えてやりたいと思っている。
の身を飾る服や宝石
が口にする飲み物や料理
が愛でる美しい薔薇
の琴線に触れる書物
の耳を楽しませる音楽
が心安らかに過ごせる場所
イギリスの手ずから作ってやれるものは限られるが、それならば代わりに選んだり与えてやったりするくらいはできる。
そうして、一番にの笑顔を見ることができるのが自分であればいいと思う。これがなかなかに難しいことも、充分に承知しているのだが。
イギリス自慢の薔薇の少女は、フランスやアメリカだけでなく、それぞれに才能を持ち合わせる『国』たちとも懇意にしている。
その交流が友人としての域を出ないことはわかっているし、が嬉しそうにしていればイギリスも満たされるのだが、時折、もやもやとしたものが胸に広がることがあるのだ。
そんなことを告げれば、この少女はそのアメジストのような瞳に意味ありげな光を宿して笑うのだろう。それはそれは嬉しそうに。
そうして、「なら、アーサー以外の人とお茶をしたり話したりするのはやめるわ」と、いとも容易く言ってくれるに違いない。
「私の王子様は、今度は何を難しく考えているのかしら?」
歌うように紡がれた言葉にイギリスが顔を上げると、すっかり目を覚ましてしまったが空のティーカップを差し出して笑っていた。
差し出されたティーカップを、その綺麗な手ごと己の手中に収める。
「そうだな――どうすれば気まぐれな俺のお姫様が、他の男に会いに行かないかを考えていた」
イギリスはそう嘯いて、少女の手からティーカップを受け取りサイドテーブルへと置く。そして、自分の手中にある少女の指先に音をたててキスをした。
その様子にが、「そんなこと? つまらない心配ね」とくすくすと笑う。
「俺にとってはちっとも、つまらない事じゃないけどな」
冗談半分、本気半分でイギリスが笑ってみせる。
その程度で嫉妬するほど浅くも短くもない付き合いなのは、とて承知しているだろう。案の定、くすくすと笑う声がやむことはなかった。
「でも、」
が反対の手をゆるく持ち上げて、薄いエメラルドグリーンに彩られた指先で己の首筋を示す。
「さすがに、こんな痕をつけて他の男に会いには行けないわね」
昨夜の失態を見せつけられて、確かに、とイギリスは苦笑いを返す。いつもは気をつけているのに、昨夜は夢中になりすぎて見えるところに痕を残してしまったのだ。
肌が白いから、余計に昨夜の名残が目をひく。
「今日は大人しくアーサーの隣にいるわ」
だからね、とは続ける。
「いつものように美味しい紅茶と甘いキスを頂戴?」
アメジストの瞳が猫のように細められる。
「姫君の仰せのままに」
未だ捕らえたままの指先にもう一度接吻けを落としてから、笑みを浮かべるの唇にイギリスも唇を重ねた。
その接吻けが甘いのは、貴方のせい? それとも、私?
(『散文御題』 Title by 黎明アリア)