アリスの森

誰も悪くない。それでも誰かの所為にしてしまうのは、

 キィ、と庭の木戸が軋む音がした。
 ちいさな同胞たちが空気を震わせる。彼らが知らせる来訪者の名を、少女は俯けた視線のまま聞いていた。
 間もなく、さく、と草を踏む柔らかな音が近付いた。
「よぉ、元気だったか?」
 よく知る声に無言で顔を上げる。膝の上で寝入る幼子の髪をさらりと撫でた少女――は、アメジストの瞳に冷たい色を宿して来訪者を見つめた。


「お姫様のご機嫌はあまりよろしくないようだな」
「……招かれざる客のせいじゃないかしら」
 彼を見つめる自分の瞳の色を自覚している。その声音までも冷たく硬質に響くのを、は他人事のように聞いていた。
 一方、に冷たい対応をされているフランスは、少女の態度を予期していたように苦笑いをしてみせた。
「イギリスに聞いた時は半信半疑だったけど、本当に新大陸に留まってたんだな」
 木陰の芝生に腰をおろすの前にしゃがみ込んだフランスが、少女の膝で眠る子どもをまじまじと見つめ、「お、カナダか」と笑った。
「……アメリカなら森で遊んでいるわよ」
「へぇ、子どもは元気だな。でも、今日はに会いに来たんだぜ」
「そう」
 戯れ言を、と心の中で毒付き、はフランスから視線を反らした。
 様子を見にきたのは事実だろう。――アメリカへの『手土産』のついでに。

「……そこまで気に入っているのなら、情が深くなる前に引き離してくれればよかったのに」

 の声から刺々しさが消え、代わりに心情の窺えない静かな色が滲む。
 言葉尻だけを捉えれば、ただのヤキモチに聞こえる。最近のイギリスがアメリカにご執心なのは、誰の目にも明らかだ。しかし、それなりに付き合いの長いフランスは、のわずかな変化を目聡く見つけて首を傾げた。
「カナダを取られた俺に、そーいうこと言っちゃう?」
「そうね。甲斐性なし」
「ちょっ、酷いんじゃない? ていうか、心配しなくてもイギリスの一番はだろ」
「そうね。別にどうでもいいけど」
「どうでもいいの?」
 意外そうにフランスが聞き返す。そんなにも意外だっただろうか。
 どうせイギリスは、最後にはちゃんとのところへ戻ってくるのだ。たまに小さなヤキモチくらいは妬いてみせるけれど、心配したことなどない。

 ―――そんな心配など、どうでもいいわ。

 先程までの周囲にいた ちいさな同胞たちは、いつの間にか木の幹へと腰掛け、二人の様子を静観していた。


「何が心配なんだ?」
 はアメジストの双鉾を閉ざした。視界を閉ざしたことで膝の温もりをさらに感じて、カナダの頭を無意識に撫でる。
 自分から言い出したわりに口を割らない少女を、フランスは珍しそうに見た。言いたくないことなら最初から口にはしないし、今更フランス相手に遠慮する少女でもない。
?」
「…………あの子はいずれイギリスを傷付けるわ」
「……アメリカの話か?」
 は静かに瞳を開いたが、視線はカナダへと落としたまま続けた。
「イギリスはあれでいて情が深いから、一度 懐にいれた存在はずっと大切にするでしょうね」
「あぁ……」
「あの子、きっとすぐに独立するわ」
「アメリカが独立する時に、イギリスが泣くのが心配?」
「イギリスだって『国』だから、独立されることくらい想定内でしょう」
 ならば何が心配なんだ?――フランスの蒼い瞳が疑問を浮かべている。
「独立に至る経緯、伝わらない真実、それによって生まれる確執」
「なるほど、あいつらが こじれるのが心配なわけね。その『未来』はお姫様の予知?」
「……ただの勘よ」
「ただの勘、ね」
 そのわりには、やけに確信めいてるじゃないか。――フランスは英国の薔薇少女を眺める。自分たちと一緒に生きてきた この少女が心配するのだ。余程こじれるのだろう。
 にこりともしない、冷めた瞳。せっかくの花のかんばせが台無しだ。


「今日はお兄さんがうまいもん作ってやるよ」
 の膝からカナダを抱き上げ、ついでにウィンクをひとつ。
 差し出した手は、「折角だけど、遠慮するわ」という少女の拒絶にやむなく引っ込める。無理強いする気はない。結局のところ、この少女は自分のやりたいようにしか動かないのだから。
 苦笑してカナダを抱きなおす。あれこれとメニューを考えながら家に向かうフランスの背後で、ようやくが立ち上がる気配がした。





「……貴方も歯車のひとつになるのでしょうね」
 の落とした小さな呟きはフランスには届かず、木々のざわめきと共に風に消えていった。

(『散文御題』 Title by 黎明アリア)