アリスの森

銀の言ノ葉、飾る蝶

 隊首会の帰り道。慣れた霊圧を感じ、日番谷は視線を向けた。

 ――― 一番隊の詰所内にいるなんて珍しい。

 自分の立つ渡り廊下から見下ろす位置にいる少女。
 背を向けているので顔は見えないが、その長い黒髪をまとめている銀の髪飾りを見て、日番谷 冬獅郎は満足そうに笑みを浮かべた。


 美しい蝶と花をあしらったその銀細工は、先日、日番谷が幼馴染のひとりである少女の為に造らせた一点物であった。





 先月の初めのこと。
 十三番隊に所属する幼馴染の少女が、現世任務に降りた。
 少女――雛森 は、日番谷のもう一人の幼馴染・雛森 桃の実妹であり、日番谷自身もとても親しくしている間柄である。
 年頃は日番谷とさほど変わらないように見えるが、その幼い外見からは想像できないほどの斬術と鬼道の才能をもち、十三番隊では一桁の席次を冠している。

 以前所属していた隊の隊長に贈られたという愛用のかんざしを挿し、は鏡越しに視線を向けた。
「気をつけろよ」
 現世へ向かう少女に対し日番谷が言葉をかけると、はふわりと笑った。





 その夜、現世での任務を終えて帰宅した少女の姿に、少年は違和感を感じた。
 そしてその正体にすぐに気がつく。任務中は邪魔にならないようにまとめられている少女の髪が、その背におろされているからだ。
 退局後まっすぐに帰ってきたことは、死覇装姿からわかる。
 朝別れた時は、確かに少女の黒髪を彩っていた硝子細工の蝶。
、お前、あのかんざしはどうした?」
 日番谷の言葉に、は自分の髪に手をやる。さらりと黒髪が滑るばかりだ。
「―――割れた」
 日番谷の瞳を見つめて、ただ一言。
 元々表情の変化に乏しい少女が事も無げに言った一言だったが、彼女がとても落ち込んでいるということは幼馴染の少年にはすぐに察しがついた。
 そもそも、あのかんざしがの気に入りだということは、少女を知る者達にとっては当たり前の事実である。
「……夕飯まだ食べてないだろ?」
 いつものようにを招き入れる。
 常と変わらない様子で一緒に夕食を終え、本を繰る日番谷の傍らで、は割れて片羽になってしまった硝子細工の蝶を見つめていた。
 現世におりてすぐ虚が出現し、その戦闘で割れてしまったという蝶。虚との戦闘は別段苦戦するものではなかったが、運悪く攻撃を避けた際にかんざしに掠ってしまったのだと少女は話した。
 日番谷はその様子を、気付かれないようにちらりと窺った。


 少女の瞳の色と同じ、桜色の蝶。その蝶が割れたと聞いた時、日番谷には不謹慎にも安堵する気持ちがあった。





 流魂街にいた時も、真央霊術院に在学中も、人見知りの強いは常に日番谷の傍らにいて、どこに行くのもついて歩いた。
 そんなに、日番谷も一緒にいるのが当然だと思っていた。思っていたからこそ、が護廷十三隊に入隊する時、自分のいる隊ではなく十一番隊に入隊希望を出したと聞いて憤慨した記憶がある。

 ―――俺といるのが一番だって言ったくせに。

 もう何十年も前のことなのに、未だに引きずっている自分に呆れる。
「シロちゃんは、ちゃんを独り占めし過ぎ! ちゃんはあたしの妹なんだからね!」
 流魂街にいた頃、よく雛森 桃に言われた言葉だ。当時はそんなことはない、と反論しては言い合いになったが自覚はあった。
 十一番隊に配属された後も少女の人見知りがなくなったわけでもなく、年の離れた隊員達を相手に殊更苦労している姿を日番谷も桃も知っていた。何より他人に対して無頓着なこの幼馴染は、なかなか人の名前や顔を覚えられないという欠点があった。
 そのが自分達以外の人間からの贈り物を受け取り、あまつさえ身につけているなど信じられなかった。
 桃はそんな妹の心境の変化に驚きはしたが喜んでいた。しかし日番谷は面白くなかったのだ。





 そんな取り留めもないことを日番谷が考えていると、ふと視線を感じて顔をあげた。
 すぐ近くから自分を見つめる、桜色の瞳。あまりに真っ直ぐ見つめてくるものだから、自分のつまらない独占欲に気付かれてしまったのではないかと少々焦った。
「どうかしたのか?」
 平静を装って問いかければ、
「……なにか考え事?」
 先程まであんなに熱心に片羽の蝶を見ていた瞳が、今は日番谷を映している。
 それに気を良くした日番谷は、読んでいた本を閉じて横に置いた。そうすれば、幼馴染の少女の瞳も、気持ちも、自分にだけ向くことを日番谷は知っている。
「近いうちに新しいやつ、買ってやるよ」
 なんの話かわからずに首をかしげると、少女の髪が肩から流れ落ちた。
 目の前で揺れる黒髪に手を伸ばし、一房すくう。手にした黒髪はさらさらしていて、少年の指から滑り落ちる。
 が髪を伸ばしているのは、流魂街にいた頃、日番谷が長い方が好ましいと言ったからに他ならない。特に日番谷はおろしている方が好きなのだ。
「髪飾り、新しいやつを買ってやる」
「別に……他にも持ってるよ?」
「いいから。……だから、他の奴に貰ったのはつけるな」
 は目を見開いて日番谷を見つめたが、彼が横を向いてしまったのでどんな顔をしているのかはわからない。
 しかし……
「……シロ、耳が赤いよ」
「ウルサイ。笑うな!」
「シロが選んでくれるの、久し振りだから」
 うれしい――そう言って顔を綻ばせる幼馴染の姿に、日番谷も表情を和らげた。





「隊長、どうかしましたか」
 松本 乱菊に声をかけられ、なんでもないと答えたが、日番谷の視線は未だ少女に向けられたまま。松本はその視線を辿って見つけた姿に納得すると、年若い己の隊長を盗み見た。彼にしては珍しい穏やかな表情に、松本の表情も自然と緩んだ。
「あら、のかんざし、新しいやつですね」
「…………」
 初めて見る少女の髪飾りに一言溢せば、日番谷はちらりとこちらを見て、すぐに視線を戻した。

 松本がその銀細工について知るのは、数日後のこと。

 見つめていた少女が視線に気付いて顔をあげる。そこに幼馴染の少年を見つけ、そして嬉しそうに笑った。
「松本、行くぞ」
 交わった視線を外し、上機嫌で日番谷は十番隊詰所に向かって足を進めた。