彼が戻ったその夜に ~銀色の溜息~
日番谷が風呂からあがってみれば、寝室では幼馴染の少女が濡れ髪のままで日番谷の持ち帰った本に夢中になっていた。
「先に髪を乾かせよ」
呆れて言ったところで、少女が本から顔をあげないだろうことはわかっている。
案の定、生返事で返す少女に嘆息しながら、日番谷は少女の肩にかけられたままのタオルを手にとった。
「乾かしたのに」
「ちゃんと乾かせ。濡れたまま俺の布団に潜り込む気か」
ドライヤーの温風で長い髪が絡まないように丁寧に扱う日番谷に、少女はくすくすと笑う。
「なんだ?」
「自分の時は適当なのに」
「当たり前だろ」
日番谷の髪と少女の髪では全然違う。
この少女の柔らかい黒髪は、幼い頃から日番谷の気に入りなのだ。
そう告げたのは随分と昔のことだが、少女が忘れているわけではないのは日番谷も承知している。
長い方が似合うと言ったから、今でも少女の髪は長いままで。
おろしている方がいいと言ったから、家にいる時は髪を結わないでいることが多いのだ。
とは言え、無頓着な幼馴染は洗い髪をこうしてきちんと乾かさずにいるので、その度に日番谷がタオルやドライヤーを手にしなくてはいけなくなる。
はっきり言って、風呂上がりの想い人が目の前にいて、何もするなという方が無理だろう。
―――なんの拷問だ、これは。
はぁ、と大きく吐きだしたため息に、読んでいた本から顔をあげて、少女がわずかに首をめぐらせた。
「幸せが逃げるよ」
「誰のせいだ」
きょとん、とした少女。読んでいた本をぱたんと閉じて、くるりと日番谷を振り返った。
「私?」
「……別にお前のせいじゃない」
桜色の瞳に不思議そうな色を足して、幼馴染の少女は首を傾げる。
自分ばかり意識しているのが馬鹿らしくなった。
「もう寝るぞ」
立ち上がった日番谷に、慌てて読んでいた本を片付ける少女。
そして日番谷の布団の端でちょこんと待つ。
「ほら、早く入れ」
掛布団の端を持ち上げて促せば、するり、と少女が滑り込んできた。
同じ布団で寝るのは久し振りだ、と日番谷は思った。幼馴染の少女への想いを自覚してからは初めてのことだ。
距離感が掴めずにいる日番谷の胸もとに少女が擦り寄ってきた。
なんの躊躇いもなく甘えてくる幼馴染に、自分が如何に男として意識されていないかを再確認してまた ため息がでた。
「また」
胸もとで聞こえるくぐもった声。
「……お前がいつまでも甘えただからだろ」
「直んないよ」
くすくすと笑う少女の黒髪から甘く香るそれに誘われるように、日番谷は腕を伸ばした。
そっと抱きしめれば、少女の腕も日番谷の背に回される。
やがて聞こえ始めた微かな寝息に、本日 何度目かのため息をついた。
もう少女の笑う声は聞こえない。
―――のんきに寝てるお前が悪いんだからな……。
腕の中で眠る愛しい少女の髪を少し払って、そのこめかみにそっと接吻けを落とした。