アリスの森

冬を望む、六花の声



 名前を呼ぶ声に、夜空を見上げていた視線を幼馴染へと移す。
 なに?、と目で問えば、彼にしては珍しく歯切れの悪い様子。
「……来月の20日、休み取れるか?」
 ぱちり、と瞬きひとつ。

 ―――来月の20日……。

 あぁ、と思い至る。次いで、珍しいとも思った。
 銀髪の少年の不機嫌そうな横顔に、口には出さなかったけれど。





「あれ? が休暇申請なんて珍しいね」
 来月の勤務希望票を確認していた綾瀬川 弓親が、ある一枚で手を止めた。
 その言葉に湯呑みを持ったまま斑目 一角が近付き、綾瀬川の持つ用紙をぺらりと取り上げる。
「なんだよ、20日になんかあるのか?」
 あるから休みをとったんだけど。――雛森 は手元の書類から顔もあげずに、纏う空気でそう述べた。
「で、なにがあるんだよ」
「――その書類、今日までだよ」
「そういう可愛くねーこと言うと、休みにしてやらねーぞ」
「――じゃあ、有休使うからいいよ。弓親、私の有休まだ残ってるよね」
「有休なんて使わなくても、休みにできるから大丈夫だよ」
 ふたりのやり取りを見ていた綾瀬川が苦笑する。
 自分の同僚である黒髪の少女が口を割らないのは、隠しておきたいからなのか、単に面倒なだけなのかはわからないが、休みを取る理由については察しがついていた。
「毎年、休暇申請なんて出してなかったのに。今年はどうしたんだい?」
「――言われたから」
「それはまた――珍しいね」
 あの少年隊長が。
「――だから、なにかあっても呼ばないでね」
 そう言って、手元の書類を揃えたが席を立つ。カタン、と小さな音がした。
「――五番隊に書類届けに行くから、他にもあったら持っていくけど」
 仕事の終わっていない斑目の机をちらりと見て、が無表情に言った。言外に「早く仕事をしろ」と。


ちゃん!」
 よく知る霊圧と、次いでかけられた声には足を止めた。
 ゆっくり振り返ると、予想どおりの姉の姿。
「――桃ちゃん」
 駆けてきた桃がの隣で大きく息をついた。
「藍染隊長に書類を持っていったら、ちゃんが来てたって教えてもらって。ちゃんがお使いなんて珍しいね」
「――五番隊なら桃ちゃんがいるから」
 静かな声で言われた言葉に、桃は目を見開いたが、次の瞬間 満面の笑みを浮かべた。
 幼い頃からこの愛らしい妹に頼りにされるのは、自分ではなく幼馴染の少年だったから、この言葉は桃にとって嬉しい一言だ。
ちゃん、お昼まだだったら一緒に食べよう?」
 桃の誘いにはこっくりと頷いた。


 口数の少ないから話題を振ることはあまりない。主に桃が近況報告をし、それにが相槌を打ったり、言葉少なに返したりして会話は成り立っていた。
 藍染の話から始まり他隊の様子や噂話など、外部との交流の少ないにとっては、それなりに興味深い話題である。
 桃もそれを知っているので、食事の合間にいろいろと話して聞かせた。なによりを独り占めできる時間が嬉しい。
「そうだ、日番谷くんの誕生日が来月でしょ」
 話が一区切りついたところで、思い出したように桃が言った。
ちゃんはプレゼント何にするか決めた?」
 は湯呑みを両手で包むように持ち、その揺れる水面に視線を落とした。
 プレゼント――が苦手とするもののひとつだ。日番谷や桃の誕生日の度に思い悩み、ため息をつく。
 案の定、今回もため息をつくこととなり、澄んだ緑の水面をその吐息で揺らした。
「今年も悩んでるんだね」
 桜色の瞳に影を落とす妹に、桃がくすくすと笑う。そんなに悩むことはないのに、と。
 どうせ日番谷はなにを貰っても、が選んだものなら喜ぶのだから。
ちゃんからのプレゼントなら、なにを貰っても日番谷くんはちゃんと喜んでくれるよ」
「――……でも、どうせならシロの欲しいものをあげたい」
 物欲の薄そうな日番谷相手では、一苦労なのだろう。
 しかし桃は知っている。幼馴染の少年も春になると、同じように悩んでいることを。

 ―――似たもの同士だなぁ。

 桃がそんなことを思っているとは知らないは、再度ため息をついたのだった。





「日番谷隊長」
「……なんだ?」
 目を通していた書類に署名をしながら、日番谷は自分を呼ぶ少女を見ずに問うた。
「なにがいい?」
 署名の後に隊長印を捺し、横に避けてから改めて幼馴染の少女へと顔をあげた。
「熱いから気をつけろよ。――で、なにが?」
「プレゼント」
「……別に、なんでもいい」
「それじゃ困るのに」
 十番隊でだされた湯呑みを両手で持ちながら、はふぅ、と息を吹きかけた。
「なんでもいいのか?」
「私に可能な範囲なら」
 松本の淹れる茶は熱めだから、が飲むにはまだ時間がかかるだろう。
 予想どおり湯呑みを持つのも難しかったようで、机の上に置くと、その小さな手を振って冷ましている。
 その様子を見ながら、次の書類を手に取った。
「じゃあ、十番隊に来いよ」
「…………」
「聞いてるのか?」
「…………聞いてる」
「返事は?」
「…………」

 少女が是と言わないのはわかっていたが、ここまではっきりと拒絶の意思を見せられると日番谷とて面白くない。

「なんでもいいんだろ?」
「可能な範囲で、って言った」
「可能な範囲だろ」
「……いじわる……」
 どっちがだ――日番谷はため息をついて、手元の書類へ視線を落とした。
 できれば危ない任務などやらせたくない。人見知りの強い少女を自分の目の届くところに置いておくことの、どこが意地悪だというのか。
 立ち上がり幼馴染の座るソファまで近付くと、机に置かれている湯呑みを持ち上げた。
 ぐい、と一口飲んでからに手渡す。
「もう飲めるぞ」
 こくこく、と茶を飲む少女の頭に、先程まで見ていた書類を乗せてみる。湯呑みから視線をはずし、上目遣いに日番谷を見つめる桜色の瞳に意味もなくため息がでた。
 その様子には首を傾げる。
「それ、確認ができたから、更木のトコに戻しとけ」
「ありがとう」
 忙しいのに優先して片付けてくれた書類を手にが立ち上がった。
「さっきのこと、考えとけよ」
 苦い表情で退室する少女の姿が、扉の向こうに消えた。





「窓を開けるのはいいが、髪はちゃんと乾かせ」
 日番谷が風呂からあがると、少女はその長い黒髪を乾かしもせず、窓の外、夜空を見上げていた。
 無造作に放られたタオルを拾い上げ、が振り返る前にその頭に被せる。長い髪が絡まないように丁寧に拭う日番谷にされるがまま、はおとなしくしていた。
「シロ」
「なんだ?」
「プレゼント」
「またそれか」
 随分前にも同じ話題になり、その時にも言ったのだ。
「お前が十番隊に来れば、それでいい」
「考えた」
「お前が断るのもわかってる」
 別に少女を困らせたいわけじゃない。ただ言ってみただけだ。
「……シロ……」
 頼りなげな声にため息が出そうになるのを、なんとか飲み込んだ。ここでため息をついてしまえばは、日番谷が怒っているか呆れていると誤解をして落ち込むだろう。
「明日、休みが取れたんだろ?」
 タオルの下で、小さな頭が縦に揺れた。
「なら、それでいい」
 この少女に対して、多くを望んではいない。
 自分にべったりだと思われている桜色の瞳の少女は、実のところ、この上なく気まぐれな猫なのだ。だから――
「お前が明日1日一緒にいるんなら、それがプレゼントでいい」
「そんなのプレゼントにならないよ」
「俺がそれでいいって言ってんだよ」
「―――1日、ずっと一緒にいればいいのね」
「ああ」
 日番谷の返事とともにの体が振り返り、そのまま抱きついてきた。背に回された腕に力が込められる。





「誕生日おめでとう、冬獅郎」





 タオルを引けばその下から、桜色の瞳が嬉しそうに日番谷を見つめていた。

 ちらりと見やった時計は、十二時を少し回ったところ。

 とりあえず――

 せっかくの誕生日なので、このまま少女を腕の中に閉じ込めてしまうことにした。